衆院選で実質的に勝利した岸田政権。暴走を防ぐチェック機能を誰がどう果たすか。
少し古い話で恐縮だが、財政をめぐる政治家と官僚の小さなアネクドートだ。
1979年8月3日、大蔵省(現財務省)主計局長室の電話が鳴った。当時の局長は後に事務次官を務める田中敬。電話の主は時の首相、大平正芳だった。
「大蔵省は歳入増、歳出削減、国債減額をどう組み合わせていくつもりなのか」
大平はこう田中に問うた。首相官邸の主(あるじ)が、財政再建に向けての道筋を直接、担当局長に聞いてきたわけだ。
そして、このときの会話が「84年度特例公債(赤字国債)脱却」という財政再建目標の設定につながっていく。田中によれば、この目標は大平自身からの指示だったのだという。
大蔵省時代から続く幹部のオーラルヒストリー、通称「史談会」の中で田中自身が明らかにしている。「総理は非常によく考えておられて、興味あるお電話だった」と。
こんなこともあった。96年11月、予算編成が大詰めを迎えていたとき、大蔵省は「翌年度国債発行額の3兆円以上の削減」を決めて、ひそかに当時の首相、橋本龍太郎の了承を得た。蔵相の三塚博と会談した橋本はこう指示する。
この記事は有料会員限定です。
東洋経済オンライン有料会員にご登録頂くと、週刊東洋経済のバックナンバーやオリジナル記事などが読み放題でご利用頂けます。
- 週刊東洋経済のバックナンバー(PDF版)約1,000冊が読み放題
- 東洋経済のオリジナル記事1,000本以上が読み放題
- おすすめ情報をメルマガでお届け
- 限定セミナーにご招待
無料会員登録はこちら
ログインはこちら