グローバル世界が抱えるリスクの特徴として、時間の経過とともに事の深刻さが増す場合が多い。そのため、隔絶した事象がグローバルな脅威に変身するかどうかは、リスクを特定する早さ、ならびにその対応の有効性が左右する。イスラム国の誕生、エボラ出血熱の発生、気候変動に対抗する努力、あるいは2008年の財政問題の伝染を見れば、長期に及ぶ危険の見過ごしや、協調的対応の欠落や不始末がもたらす結果は明らかである。
それでもなお、堅牢な地域・国際機関に対する支援は徐々に衰退している。欧州、北米、および中東の多くの市民は、失業、格差の拡大、疫病、そしてテロリズムをグローバリゼーションのせいにしている。国家間のさらなる統合や開放、イノベーションをチャンスではなく脅威と見なしている。
有権者の懸念
こうして悪循環が生まれる。有権者の懸念は、さらなる保護主義、移民削減、そして市場へのより一層の国家管理を提唱する政党の支持増加に反映されている。
その結果、欧州、北米、アジア、そしてオセアニアの政府は偏狭な問題意識を強めており、グローバリゼーションの課題に適切に対応するうえで必要となる、地域・国際機関の資金調達、信頼性、そしてリーダーシップ能力の欠乏をもたらしてしまっている。
国家はそれぞれのグローバルな責任を短期的には避けることができるかもしれないが、国境を越えた事象が引き起こす脅威を永遠に食い止めるのは不可能である。もしも、グローバル世界特有の危険に対応しないのであれば、脅威は今後も増殖し続けるであろう。イスラム国、エボラ、金融危機、気候変動、または格差の拡大といった危険と向き合うには、短絡的な政治的ご都合主義を克服しなくてはならない。さもなければ、全世界が後悔する日が訪れるであろう。
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