東京都立高校ブラック校則全廃、本当に必要な校則の見分け方 「黙って従え」通用しない、自由の制限最小限に

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「自由を制限するのは必要最小限度であるべき」と妹尾氏は話す(写真:Fast&Slow / PIXTA)

では、学校の役割とは何だろうか。

この答えは幾通りもあってよいが、1つ外せないのは、自分と他者、お互いの自由を尊重していくということを教え、学ぶことにあるのではないか。教育哲学者の苫野一徳氏は「自由の相互承認」の感度を育む場が教育であると述べている。

その教育現場の一部で、ともすれば校則を守ること、あるいは守らせることが目的化し、児童生徒の自由を安易に制限しようとしていることは、大きな問題である。きつい言い方かもしれないが、教育機関、教育者として、合理的な説明ができない校則を押し付けることは、自らの存在意義を否定していることにつながる、とさえいえると思う。

第2に考えるべきは、校則の影響についてである。合理的な理由がきちんと説明でき、児童生徒(また保護者)が納得できる校則であればよいが、そうではないルールを押し付けることは、子どもたちの教育上もマイナスである。

「ルールなんだから、守れ」という乱暴な「指導」をしている教師も一部にはいるが(本来こういうことを「指導」とは呼べないと考えているが)、これでは「教師の言うことには黙って従え」ということを刷り込んでいる「隠れたカリキュラム」(公式なカリキュラムではないが、知らず知らずのうちに教えていること)になっている。

学校の教育目標や日頃の指導の中でいくら「自律」や「自ら考える力」が必要だなどと言っていても、矛盾したものとなる。

校則のせいで、不登校が増加

また、必要性の乏しい校則と「指導」によって、学校に行くのが嫌になる児童生徒や、教師との関係性を壊してしまうケースもある。これも甚大なマイナス影響である。

文部科学省が2020年に不登校経験者にアンケートを行った調査(「不登校児童生徒の実態把握に関する調査報告書」)によると、「学校に最初に行きづらいと感じ始めたきっかけ」として、「学校のきまりなどの問題(学校の校則がきびしかった、制服を着たくなかったなど)」と回答した小学生6年生は2.7%、中学2年生は7.8%であった。

不登校は複合的な理由が背景になっていることも多いので、校則だけの問題ではない。だが、非常にラフな推計をすると、上記の割合が全国の小中学校の不登校児童生徒(約19万6000人)にいえると仮定するならば、およそ1万2000人の小中学生が校則など、学校の決まりの問題が原因の1つで、不登校になっている(これは欠席30日以上を不登校と定義した場合の話で、それ未満の児童生徒も含めるともっと多くなる)。

高校生についての文科省調査はないが、訴訟にまで発展している事例もあるし、高校のほうが保護者の一部の意見や世間体を気にしてか、より厳しく「指導」している例もある。校則のせいで苦しんでいる生徒は多いはずだ。

第3に考えるべきは、法との関係である。基本的には法に触れることは法で解決できる話だから(例:人の物を盗まない、他人を傷つけてはいけない)、校則の出る幕がどこに、どこまであるのか、考える必要がある。

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