信長・秀吉・家康「天下人」の意外な“年収"事情 なぜ徳川家康は“ドケチ"で有名だったのか?

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安土城は日本史上初の天守閣を持つ城郭建築ですが、信長の居住スペースだった上層階は「御座敷の内、皆金なり。そとがは、是れ又、金なり」(太田牛一『信長公記』)……つまり“黄金尽くし”の型破りの内装が施され、世間の注目を浴びました。黄金趣味といえば秀吉をイメージしますが、秀吉は尊敬していた信長からそれを引き継いだのかもしれません。

信長には“おもてなし好き”という意外な一面がありました。安土城を訪れた客をもてなすため、うなるほどの金貨が詰まった蔵を見学させています。堺の豪商・津田宗及も訪問の記録を残し、「黄金一万枚ほど見申候」と書いています。当時の黄金1枚、つまり大判金貨1枚は現代の貨幣価値で300万〜400万円。信長はこうした大判金貨を鋳造、貯蓄させており、「一万枚」とは、「途方もなく多い量」との意味でしょうが、単純計算でも天文学的な値打ちのシロモノだったといえるでしょう。

「本能寺の変」で主君・信長を討ち果たした明智光秀が安土城に急いだ理由も、信長の金蔵を誰かに占拠される前に自分の手中に収めようとしたからです。

信長を討ち取った後、明智は、京都の朝廷関係者や部下の武将たちに「大いに気前よく」大金を配りまくりました(ルイス・フロイス『日本史』)。その額、現代の貨幣価値にして一人につき数億円程度……。フロイスが数字を盛った可能性も否定できないものの、それほど巨額のバラマキを明智ができたのも、在りし日の信長の圧倒的な資金力のおかげです。

秀吉の“年収”はいくら?

次に、秀吉について見ていきましょう。彼の直轄領は220万石といわれ、年貢米のうち秀吉の取り分は約37万石=年収555億円。信長と同じく金山・銀山を有する土地を直轄領に選んだ点から、秀吉がいかに信長の支配のシステムを踏襲しようとしていたかがわかりますね。また、信長・秀吉の“コメより黄金”というモットーからは、“戦が強い武将は経済にも強い”と再確認できるようです。

秀吉が「黄金太閤」と呼ばれたのは、彼が幸運な時期を生きていたためでもあるでしょう。「秀吉の出世にともない、日本全国の野山に金銀が湧き出した」などの記録も残されていますから(太田牛一『太閤軍記』)。

これは嘘ではなく、実際に秀吉がもっとも豊かだったといえる最晩年の慶長3年(1598年)、秀吉の直轄領にある金山・銀山からは300万石相当の産出がありました。

直轄領220万石に、この300万石がプラスされるわけです。この圧倒的な経済力が、黄金太閤・秀吉のカリスマ性の正体でした。

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