街の顔が大移転、千葉「超複雑」な駅の生い立ち スイッチバックだった国鉄駅、京成は別の場所

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翌1963年に加納が知事在職のまま急死すると、後継となった友納は新東京国際空港(現・成田国際空港)の建設や東京湾の埋立地造成など、開発大明神ともあだ名されるほど千葉県の開発を推進した。その次の川上は、埋め立てられた浦安沖に東京ディズニーランドを誘致。沼田も幕張新都心の建設などに取り組んでいる。

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知事だけではなく、市長も開発推進者が選出された。1950年から千葉市長を務めた宮内三朗は、川崎製鉄の誘致や千葉港の整備、国鉄千葉駅の移転を実現した立役者でもある。そうした功績から、千葉市の基礎を築いた市長と語り継がれる。宮内は千葉県知事とも協力していたが、それとは別に川崎製鉄の初代社長・西山弥太郎との二人三脚で千葉市の工業化を積極的に進めた。

千葉市が推進した埋立事業によって、約19kmあった海岸線は約34万平方メートルの埋立地に姿を変え、千葉市は工業化を果たす。そして、臨海部には貨物専用線として京葉線が誕生した。同線は沿線開発に伴って1986年から西船橋駅―千葉みなと駅間で旅客列車が運行されるようになり、同時に駅も設置された。これが沿線の宅地化を加速させていった。

モノレール開業、そして21世紀へ

千葉市は湾岸エリアを工業地帯にとどめるだけではなく、観光地にする未来図も描いていた。観光課は対外的な宣伝用に湾岸エリアに遊園地を描いたイラストマップを制作。それらは、遠からず幕張新都心の幕張メッセやマリンスタジアムとして結実。さらに、平成期にはタワーマンションが立ち並んでいった。

千葉都市モノレールの新型車両0形は、眺望を考慮して窓を広くしているほか、床面の一部にもガラスを採用している(筆者撮影)

湾岸開発が進められていた時期には、千葉市内の交通渋滞悪化対策とさらなる人口増を見据え、市内の鉄道網を整備する機運も高まった。千葉市は、地下鉄ではなく新しい交通機関として注目を浴びていたモノレールを選択。千葉都市モノレールは1988年に一部区間で開業を果たし、1991年に千葉駅へ乗り入れた。

千葉都市モノレールは以降も路線網を拡大し、現在は懸垂式モノレールとして世界最長の約15.2kmを誇る。だが、千葉駅を軸にした通勤・通学利用が期待されたものの、利用者数は想定よりも伸び悩んだ。その影響で、さらなる延伸計画は白紙にされた。

千葉市は1992年に政令指定都市への昇格を果たし、2022年は30周年の節目を迎える。現在の人口は、約97万7000人。千葉駅は2016年に新駅舎、2年後には駅ビルが全面開業し、装いを新たにした。大規模リニューアルで生まれ変わった駅は、政令指定都市、そして県都の玄関としてさらなる発展の牽引役を担っている。

小川 裕夫 フリーランスライター

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おがわ ひろお / Hiroo Ogawa

1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経てフリーランスに。都市計画や鉄道などを専門分野として取材執筆。著書に『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)、『私鉄特急の謎』(イースト新書Q)、『封印された東京の謎』(彩図社)、『東京王』(ぶんか社)など。

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