日欧がしのぎ削った高速鉄道開発の「取材秘話」 ドイツICEの試作車に同乗、技術者との交流も
APT-Pは日本でいえば「量産先行車」で、1981年よりロンドン―グラスゴー間で暫定営業運転を開始したが、営業運転初日に異常が発生して緊急停止、そのまま運転を打ち切るという恥ずべき事態を引き起こした。その後もトラブルが続き、1985年12月に突然運転休止を表明。1986年にAPT計画自体が中止となった。
だが、APT-Pに搭載されたある技術はその後他国で生かされ、成功を収めている。その国はイタリアだ。
イタリアは欧州で初めて高速新線を建設した国で、1977年にローマ―フィレンツェ間のDirettissima(ディレッティシマ)が一部開業し、1983年には時速250km運転を実現している。現在は時速360km走行も可能な性能を誇るフレッチャロッサ1000などが高速列車の顔だが、この国の特徴的な車両といえば「ペンドリーノ」といわれる、カーブ通過時の乗り心地を改善する車体傾斜装置を備えた高速列車だ。
筆者は量産型ペンドリーノの初代車両、ETR450の運行開始時に同乗取材を敢行したが、そのときにイギリスのAPTの車体傾斜機構がフィアットに売却され、ペンドリーノの改良に生かされていると知った。ETR450は営業運転の最高速度は時速250kmだったが、試験運転では時速320kmをマークしている。どこかクラシックな流線形と赤を基調とした大胆な色使いはさすがイタリアのデザインとファンも多い。ペンドリーノはその後も発展を続け、在来線高速化に向いていることから各国で導入されている。
ドイツICE試運転同乗の思い出
欧州で、フランスに次ぐ本格的な高速列車となったのがドイツのICE(InterCityExpress)だ。開発のための試作車は西ドイツ時代の1985年に登場し、こちらは同じICEの名ながらもEは実験を示すExperimental(エクスペリメンタル)の頭文字だった。
この車両は1985年11月26日にビーレフェルト―エッセン間の在来線区間で時速317kmを記録。翌1986年11月には同区間で当時世界最高となる時速345kmをマークし、さらに1988年にはフルダの新線区間で時速406kmに到達し、世界最高速度記録を更新した。
筆者はこのICE試作車を試運転開始のころから何度も取材したが、1985年11月26日の初の公式試運転には同乗取材しており思い入れが深い。この時の取材ではこれまで語ることのなかったエピソードがあるので、今回初めて公開することにしよう。
公式試運転はビーレフェルト中央駅で交通大臣など政府要人も参加してセレモニーが行われ、「速度世界記録を出す」という触れ込みだった。
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