中学受験「いい大学へ行くため」の考えが危ない訳 歯止めがきかない中学受験過熱の背景
自分の選択未満の選択肢を選んだひとたちのことを、無意識で自分未満だと見下す視点をもってしまう危険すらある。そんな貧しい人生観を身につけてしまったら、たとえ経済的にどんなに成功したとしても、豊かな人生など送れるはずがない。
迷ったら「なぜ中学受験するのか?」を考える
ますます勢いを増す中学受験の大きなうねりの中で、「本当にこれでいいのだろうか?」と疑問をもつご家庭は少なくない。私も、「中学受験のメリットとデメリットは何か?」と聞かれることは多い。
申し訳ないが、私の答えはいつも、にべもない。「中学受験の何をメリットと感じるか、何をデメリットと感じるかにそのひとの教育観、幸福観、人生観などの価値観が表れる」である。結婚のメリットとデメリットを尋ねられても一般論としては答えようがないのと同じだ。
ただし少なくとも私の考えでは、中学受験をするのは、“いい学校”に行って“勝ち組”になるためではない。一部の“勝ち組”だけでなく、誰にとっても得られるものがある。それが何なのかを問い続けることが大切だ。
中学受験に関する相談を受けていると、「なぜ中学受験するのか?」に立ち戻ることで解決の方針が見えてくる場合が少なくない。逆に言えば、なぜ中学受験することにしたのかを忘れてしまうから、あるいはそもそもその問いを突き詰めて考えていなかったからこそ、中学受験の大きなうねりにのみ込まれてしまうのだ。
いくら「なぜ中学受験するのか?」を考えても、偏差値を上げる方法やお得な進路がわかるわけではない。でも、できるだけ高い視点から中学受験の意義をとらえ胸に刻み込んでおけば、不安にさいなまれたときにも慌てずに、自分たち親子にとっての本質的な優先順位を思い出し、ちまたの中学受験本をいくら読んでも見つけられない、自分たちだけの解決策を見いだすことができるようになるはずだ。結果として、子どもの最高のパフォーマンスが引き出される可能性はある。
教育に関する選択に、正解はない。つまり、不正解もない。大切なのは、自分の選択の意味を正しく理解することだ。
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