東武と国鉄が火花、「日光」の観光は鉄道が育てた 外国人に根強い人気「連合国専用列車」もあった

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保晃会を経済的に支援した第一銀行や第三十三銀行には、今年のNHK大河ドラマ『青天を衝け』の主人公である渋沢栄一が設立・経営に大きく関わっている。そこからもわかるように、渋沢は日光のポテンシャルに着目していた。

渋沢は宇都宮から日光まで鉄道を建設するよう、保晃会を立ち上げた有力者の1人である矢板へアドバイス。その助言にしたがって、矢板は日光鉄道の建設を政府へと願い出た。こうして日光鉄道が設立されることになる。渋沢は発起人として、保晃会は株主として同鉄道にかかわることになった。

当初、日光鉄道は鹿沼、今市を経由して日光へと到達するルートだった。しかし、作業員を手配できないことから建設工事は遅々として進まず、歳月の経過に伴いルートは変更されていった。また、紆余曲折を経るうちに資金も底をついてしまう。日光鉄道は渋沢の斡旋で日本鉄道に支援を求め、宇都宮駅―日光駅間は同鉄道の支線・日光線として開業した。これにより、東京―日光間の所要時間は5時間に短縮された。

この頃から、「来晃は鉄道で」が盛んに叫ばれるようになった。「晃」を崩すと日と光になる。つまり、来晃とは日光に来ることを意味する。それ以前より来晃という言葉は使われていたが、鉄道の開業がこの言葉を流布させたことは間違いない。

増えたのは「日帰り客」だった

日光に鉄道が乗り入れたことで地元の期待通りに観光客は増えたが、目論見通りにはいかなかった。日光線の開業によって、上野駅を朝一番で出れば午前中に日光へ到着できるようになり、社寺を見学して夜の列車で東京へ戻ることが可能になってしまったのだ。つまり日帰り客は増えたが、宿泊需要は高まらなかった。そのため、期待したほどの経済効果は得られなかった。

洋館のJR日光駅は1階に貴賓室もある(筆者撮影)

それでも、歳月とともに観光施設が整備され、日光駅周辺は観光客でにぎわうようになった。他方で静かな日光を楽しんでいた外国人や富裕層は、観光客の少ない奥日光へと移っていく。そのため、奥日光には皇族や三菱の総帥・岩崎弥之助、外国人たちの別荘が立ち並ぶようになった。

一方、日光駅は利用者の増加に加え、皇族をはじめ首相や大臣といった政府高官も頻繁に訪れるようになったことで拡張の必要性が生じた。1912年に駅舎を改築し、さらに1922年にはイギリスの皇太子が来日し、日光へ立ち寄る予定が組まれたことを受け、駅の貴賓室が改修された。

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