「日の丸半導体」が凋落したこれだけの根本原因 富士通・元半導体部門トップが直言(前編)

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――半導体産業は設計から生産まで一貫して手掛ける垂直統合型から、設計はファブレス、製造はファウンドリーが請け負う水平統合型に変わりました。日本ではファブレス、ファウンドリーとも有力企業が育ちませんでした。富士通時代にシステムLSIの製造受託ビジネスを経験され、独立後はファブレスを経営している経験から、その理由をどう見ていますか。

通信のモデムを例に説明しよう。1970年代から80年代には富士通やIBMが売っていたのは弁当箱くらいの大きさのモデムで、富士通では通信部隊が作っていた。半導体部隊はモデムに使われるデジタル信号処理用半導体などを作っていた。

1990年代になるとモデムは弁当箱からカードになり、1990年代後半にはモデムチップとしてパソコンに取り込まれた。さらにインテルのチップセットにモデム機能が吸収されたため、モデムチップが消えてしまった。

各社のモデムの設計者がどうなったか。アメリカではカードになったときにモデム設計者の多くがクビになった。クビになった設計者がモデムカードのスタートアップを作ったり、モデムチップの設計会社、ファブレスを興したりした。ところが、日本企業では商売がなくなった技術者は起業するのではなく、社内の別の業務に移った。培ってきた技術は全部消えてしまい、ファブレスも誕生しなかった。

また、アメリカには起業した人間に投資するエンジェルがいる。そして成功した人間がまたカネを出す。技術だけでなくカネも循環している。技術者が大成功できる。かつ、カネを出している連中がCEOやCFOを送り込んで儲けている。

ファンドが差配するアメリカの強み

――日本でファブレスが出てこなかった理由はわかりました。ファウンドリーが成功しなかったのはなぜでしょう。富士通も含めてチャレンジはしていました。

僕がカスタムLSIを作るビジネスをしていたとき、そうしたスピンアウトをしたベンチャーが客だった。1990年後半頃から彼らがTSMCに製造を切り替える動きがあった。理由を調べてみたら、ベンチャーにカネを出しているファンドがTSMCにも多額の出資をしていた。

ファンドがファブレスにもファウンドリーのTSMCにも資金を出して、両方の取締役会に人を送り込んでいた。調達や購買の人間は「富士通の製造技術はすばらしい」と言っても、資本の論理が別にあった。

サンノゼの高級ホテルの最上階にファブレスやTSMCにカネを出しているファンドの連中が集まって、「もっと安くしろ」とか「この時期に(発注を)出せ」とやって決まっていた。富士通の営業がファブレスの購買と話をしても受注が決まらない。大型案件では経営者や資本家が介入してくる。負けたのはF(富士通)だけではない。NTH(NEC、東芝、日立)もみんなやられた。

山田 雄大 東洋経済 コラムニスト

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やまだ たけひろ / Takehiro Yamada

1971年生まれ。1994年、上智大学経済学部卒、東洋経済新報社入社。『週刊東洋経済』編集部に在籍したこともあるが、記者生活の大半は業界担当の現場記者。情報通信やインターネット、電機、自動車、鉄鋼業界などを担当。日本証券アナリスト協会検定会員。2006年には同期の山田雄一郎記者との共著『トリックスター 「村上ファンド」4444億円の闇』(東洋経済新報社)を著す。社内に山田姓が多いため「たけひろ」ではなく「ゆうだい」と呼ばれる。

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