自傷行為を「間違い」と理解できない少年
──教会の幼稚園で理事長兼園長をされていたんですね。
当時、認定こども園移行への膨大な準備作業に追われていました。ベテランの副園長に実質任せながらも緊張の日々。牧師としての仕事はほとんどできなかった。集会の準備で聖書を手に職員室へ入ると、それは家でとクギを刺される。園長らしく経営に積極的な姿勢を見せてくれ、と。
俺は牧師や、幼稚園の仕事だけするために赴任したんじゃない、と怒りが込み上げた。徐々に気力を失い、職員の輪に入れなくなり、顔を上げて話すことができなくなった。よそ者が孤立していました。そしてある日爆発した。副園長を大声で罵倒し、職員室を飛び出した。修復不可能なトラブルを起こしてしまった、自分はもう死ぬな、それでいいと。
自分が病的な状況にある事実を認めることができないまま、妻に勧められ病院へ向かいました。
──そこで、外の世界では知りえなかった人々と出会いました。
同室の16歳の少年は人懐こくて優しい子でした。彼の元へ10代後半の仲間たちが毎晩集まってくる。彼らは私に興味津々でした。
あるとき自傷痕のある少年から「何でリストカットしてはいけないの?」と聞かれた。以前なら、神様が宿る貴い自分を愛そう、傷つけちゃダメだみたいな話をしたでしょう。でもそのとき私は黙り込んでしまった。自傷行為を“間違い”と理解できない、自分がそれまで出会ってこなかった人間だった。おそらくこうして隔離された空間のみが彼らの居場所。改めて、神が宿る貴い自分を信じているか自問すると、自分も信じちゃいなかった。きれい事でした。「いやあ」とごまかすしかなかった。
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