アルプスの少女「ハイジ」に見た資本主義の超過酷 ハイジ、ペーター、クララ…笑顔の裏の光と影
こういう「病んだ子どもたち」の心と身体を癒すものは何でしょう。
子どもは自然の一部である、よって子どもは自然のなかで動植物とともに育つべきである。このような教育観を提唱したのは、「幼児教育の父」と呼ばれる18〜19世紀ドイツの教育学者フレーベルや、スイスの教育実践家ペスタロッチでした。都会で病んだ子どもが田舎の祖父母のもとで健康を回復するという物語は、今日の児童文学でもひとつの定石になっていますが、『ハイジ』はその先駆的な例。底に流れているのは自然崇拝の思想です。ゆえに『ハイジ』の舞台はアルプスでなければならないのです。
ペーターの嫉妬、クララの挑戦
物語に話を戻します。
山の暮らしにも慣れ、健康を取り戻したクララに、祖父はある日促します。〈さあ、お嬢さん、ちょっと地面に足をつけて歩けるか、ためしてみないかね〉。
傭兵上がりのじいさんは、戦地で上官の看護にあたったこともあり、クララのおばあさまをして〈あなたが看護のしかたを習った場所を教えてもらえたら、看護婦を今日にでも全員そこに送りたいものですわ〉と驚嘆させたほど、看護の腕には長けていた。クララは歩けるはずだと彼はたぶん踏んだのです。けれどクララは及び腰。
事態を思いがけない形で進展させたのはペーターでした。〈ペーターはかんかんに怒っていました。数週間前から、ハイジは相手をしてくれなくなりました。朝、ふもとから登っていくと、いつも車いすにすわったよその子がいて、ハイジはつきっきりです〉。自分からハイジを奪った街のやつらは、ペーターにとっては敵だった。そして彼は思いきった行動に出た。クララの車椅子を〈ぐいとつかんで、山の斜面から思いきり突きおとし〉たのでした。
あのペーターが嫉妬の感情を爆発させた。これは自分を解放する第一歩、大きな成長です。ただ、彼は自分の思いを伝える言葉をもっていません。その結果がこの行動だとしたら、ハイジにも非はあった。彼女らはペーターをのけ者にしたのです。
この荒療治はしかし、クララのチャレンジ精神に火をつけます。〈一度でいいから自分のことは自分で決めたいという気持ちが、心に大きくふくらんだのです。いつもだれかに助けてもらうだけでなく、ほかの人を助けられるようになりたいと思ったのです〉
そしてクララはハイジとペーターに両肩を支えられ、大地に一歩を踏み出します。〈できたわ、ハイジ! わたし、できた! ほら、見て。歩けたわ〉
ここは『ハイジ』のなかでもっとも感動的なシーンといえましょう。
しかし、ペーターはおもしろくありません。自分の悪事がバレないか、彼はビクビクしていたのに、誰もそのことに気づかない。ハイジとクララのラブラブの関係も変わらない。少女小説の世界では、少年は概して「格下」ですが、それにしたって、この無視のされ方はひどすぎます。ペーターに代わっていってやりたい。
おーい、そこのお2人さん。クララはいったい誰のおかげで歩けるようになったと思ってる?
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