アルプスの少女「ハイジ」に見た資本主義の超過酷 ハイジ、ペーター、クララ…笑顔の裏の光と影

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ペーターとクララの生活環境の差を考えれば、当時の格差がどれほど大きかったかが理解できます。貧しい山村と、華やかな大都会。かたや極貧、かたや富豪。これが資本主義社会の縮図、富の偏在でなくて何でしょう。

とはいえ、あたかも成功の代償のように、ゼーゼマン氏は妻を失い、娘は歩行困難に陥った。金の力がすべてではないことを、この設定は示しているのかもしれません。

喪失感を抱えて生きる登場人物たち

『ハイジ』の登場人物はみな、大事な家族を亡くした喪失感を抱えて生きている。別言すれば、みな心身の傷を負っている。特異な環境で育ったペーターは発達障害気味ですし、クララは歩くことができません。クララの歩行困難は、日射量不足による「くる病」なのか、心因性(転換性障害=昔の言葉でいうヒステリー)なのか。明示されてはいませんが、いずれにしても彼女もかなりの我慢を強いられているはずですし、何より筋肉は使わなければ萎縮します。真綿でくるむような生活が望ましいとは限りません。

ではハイジはどうか。一見、ハイジは健康的な少女に見えます。

しかし、はじめてアルムに来た日から、ハイジのはしゃぎっぷりは度を超していました。何を見ても何を食べても大感動。偏屈な祖父も、友達のいないペーターも、目の見えないペーターのおばあさんも、ゼーゼマン家の人たちも、みな会ったとたん、ハイジにイチコロ。ハイジは初対面の人を一瞬にして虜にする天才です。

しかし、はたしてそれは健全なことなのか。むしろ異常な状態ではないのか。この子の言動を見ていると過剰適応という言葉が思い浮かびます。自分を犠牲にしても相手に合わせてしまう癖。常軌を逸した我慢強さ。彼女の夢遊病は、単なるホームシックを超えた、積年の無理がたたった結果ではなかったでしょうか。

つけ加えると、ハイジの過剰適応は、無意識の自己防衛本能、生存の知恵とも考えられます。1歳で父母を亡くし→4歳までは祖母と叔母に育てられ→祖母が亡くなった後は耳の遠い老女(ウルゼルばあさん)に預けられ→1年後に秘境のようなアルプスの祖父の家に来て→3年後には大都会のお屋敷へ行く。そのたびに環境も保護者も変わるわけで、大人の間をたらい回しにされた体験が、心身に影響を与えてもおかしくない。初対面の保護者に愛されなければ、だって彼女は生きていけないのです。

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