アルプスの少女「ハイジ」に見た資本主義の超過酷 ハイジ、ペーター、クララ…笑顔の裏の光と影

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もうひとつ重要なのは、当時のスイスが資本主義の矛盾に直面していたことです。19世紀のスイスはいち早く産業革命をとげた工業国でしたが、農山村の伝統的な家内制手工業は衰退し、都市と地方の格差は広がる一方でした。

そしてマイエンフェルト周辺は、経済発展から取り残された地域でした。だからデーテは国境を越えてフランクフルトに出稼ぎに行くわけですし、村の人々がヤギを飼っているのも、牛より安価で飼いやすかったためらしい。毎日毎日ヤギ乳とパンとチーズで、たまに干し肉が加わるだけという食生活にも、一見するとよさげですが、貧しさの一端があらわれています。

マイエンフェルトとその周辺は近代の光と影を背負った地域だったわけです。

傭兵から隠遁生活者になった祖父

では、ハイジの祖父はどんな人だったか。彼はべつだんアウトドア趣味でわざわざ不便な山の上に小屋を構え、ワイルドなカントリーライフをエンジョイしているわけではありません。この人もまた、スイスの歴史を背負った人物です。

彼は70歳。デーテの説明によれば、立派な農場を持つ資産家の長男に生まれたものの、若い頃に放蕩して親兄弟も土地もなくし、人々の信用を失って村を出て行かざるをえなかった。十数年後、帰ってきたときには小さな男の子をつれていた。それがハイジの父のトビアスで、彼は成長して大工になり、ハイジの母のアーデルハイトと結婚するも、落ちてきた梁の下敷きになって落命し、まもなくアーデルハイトも亡くなった。祖父はますます頑固になり、山の奥にひっこんでしまった。

ヤギ乳のチーズを下の町で売り、パンや干し肉を調達して山に戻る。冬のあいだは得意の木工で糊口をしのいでいるようですが、この人、要は世捨て人の隠遁生活者です。

村を離れていたあいだ、祖父は傭兵としてイタリアのナポリにいたらしく、軍隊を脱走した、ケンカで人を殺したなどの悪い噂もたえません。

農耕地と資源に乏しいスイスはかつて、傭兵の国として有名でした。1874年の憲法改正で傭兵制度が正式に禁止されるまで、最大の輸出産業は傭兵部隊だったといってもいいほどでした。フランス革命の際、ルイ16世の王宮の防衛にあたったのも、ナポレオンのロシア遠征に何千人もの兵を送ったのもスイスです。ですが、デーテの説明から、傭兵上がりの人物はあまりよく思われていなかったことがうかがえます。

ハイジと祖父の山の暮らしは一見夢のようですが、要は資本主義社会では居場所のない老人と少女が肩を寄せ合って生きているのに近かったといえましょう。

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