軽視される「家庭科」を学ぶ意義はどこにあるのか 調理や裁縫に加えて、資産形成も教えるように
ところが1990年代末頃からジェンダー・バックラッシュが起こり、家庭科のみならず教科書から「ジェンダー」という言葉が消えた。「これからいい実践をつくり出そう、という時期にジェンダー平等教育が弱まり、家庭科教育も大きく攻撃されました」と鶴田元教授は言う。
そして、受験の実績や学力テストの結果が重視される中で、受験科目でない家庭科の軽視は強まっていく。鶴田元教授によると、以前は中学校でも3年間全体で週6時間ずつ家庭科の時間があった時もあったが、現在は3年間で週2.5時間しかなく、専任教諭を置かない学校も出てきている。中には1校で常勤、ほか2校で非常勤の掛け持ちを強いられるような例もあるという。
また、「高校も3年間で週2時間、という以前の半分の時間数しかない科目を設定する学校が、8割以上となっている」と指摘する。「そんな環境で、生徒の現実の生活に即した教育を行うことは困難。1校に1人程度しか家庭科教師がいないため、職員会議で家庭科のことを話すことはままならない、といった状況がある」。
「家庭科は家で教えられる」というのは誤解
生活に関わることなら、家庭で教えればいいという主張もある。しかし、鶴田元教授は、家庭で衣食住の生活のうち教えられることはごくわずかだと主張する。「誰もがその時代の科学の最高水準の真理を学び、誰もが一定の水準の文化を習得できるようにするのが、公教育である学校教育の使命であり子どもの権利です」。
明治時代、学校教育が始まり、親などから生活に必要な技術や知識を学んでいた子どもたちは、抽象的な教科教育を受けて産業社会の発展に役立つ人材になった一方、地域からは次第に離れていった。実生活と教育が乖離したからである。
家庭科はそういう意味で、自分の生活に照らし合わせて学問の意義を実感する希少な教科と言える。保護者が料理する余裕もないとき、家庭科で学んだ料理を作ることができる。ボタンが取れたときに自分でつけることができるのも、裁縫を学んだからである。
生活に関わる基礎知識があれば、
生きる力を養う教科なのに、今はほとんど学ぶ時間がない。圧縮して教える教師は負担が大きいのに、立場は弱い。本当にそれでよいのか。金融商品の解説の前に、やることはたくさんあるのではないだろうか。
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