「うさぎ跳びを選手に強要する」指導者の無教養 「キツイだけの練習」は時間の無駄にすぎない

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私の経験上、きついことをとりあえず一度はやっておかなければならないという趣旨が感じられます。よく聞く話ですが、きつい練習を課し、「それはレギュラーになるためには乗り越えなければならない壁なんだ」というような決まり文句を浴びせる人がいます。なぜレギュラーになるために、きついことを乗り越えないといけないのでしょうか? それを乗り越えると、それまでの自分を超えるような変身を遂げられるのでしょうか?

このようなケースで確かに言えるのは、やらせる側の一方的な満足で終わり、選手の成長や技術の向上にはあまり役には立っていないということ。

練習内容のバリエーションの乏しさもあるのだろうと思います。的を射た練習内容を思いつかないから、「昔ながら」をやっぱりやってしまう。結果的に招くのはいつの時代にも消えない「この練習、何の意味があるんだろう?」問題。そして、費やした時間と労力ほど、狙っていたであろう技術的な効果は身についていないという現実。

誰にとっていい練習だったのでしょうか?

きつい練習がダメだと言っているわけではありません。楽な練習などあるはずもないし、向上するには労力が必要です。意味のある練習ほど、きつくつらいものです。そこに労力を費やす確かな意味があるから、選手はその練習に取り組み、つらい壁を乗り越え、その練習に納得するから継続もできます。

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しかし、そういったことには目もくれず、とにかく練習はきついことが先決。倒れ込むくらい疲れることをすれば上手くなるんだという漠然とした勝手な思い込みで、選手をただただ痛めつけることに終始する。

「ようし、今日はいい練習をしたぞ」

誰にとっていい練習だったのでしょうか? その練習でいちばん満足しているのは誰ですか? 指導者にとっての満足が必ずしも選手の満足になるわけではありません。指導者と選手が共有する時間は長くても短くてもとても貴重なものです。選手にとって無駄にしていい時間などありません。そのことを指導者はよく考えておかなければなりません。

そこにある満足は誰のものか? いつも考えておく必要があります。

仁志 敏久 横浜DeNAベイスターズファーム監督

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にし としひさ / Toshi Nishi

1971年生まれ、茨城県出身。常総学院高では夏の甲子園に3年連続で出場。卒業後は早稲田大、日本生命へと進み、96年に読売ジャイアンツに入団。強打の内野手として活躍し、1年目で新人王を獲得。その後ゴールデングラブ賞4回、日本シリーズ最優秀選手など数々のタイトルに輝いた。2007年に横浜ベイスターズに移籍したのち、10年にアメリカ独立リーグへ移籍するも、同年ケガにより引退。14年より侍ジャパンU-12監督を務め、「第5回WBSC U―12ワールドカップ」で過去最高成績の準優勝に導く。21年より横浜DeNAベイスターズファーム監督に就任。

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