冷凍餃子の「手間抜き論争」がバズった理由 「企業と生活者が共に紡ぐ物語」のつくり方

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ここで重要になるのが、「コミュニケーションの余白」という考え方だ。ナラティブとストーリーの違いは、物語が「共創」されるかどうか。そして、共創することが前提であるなら、ナラティブには、生活者やステークホルダーが「参加できる余地」があってしかるべきだ。この参加できる余地=「余白」の考え方は、ナラティブを描くにあたっては非常に大切な発想なのだ。

具体的にはどういうことか。2020年のコロナ禍のさなかに世の中の話題となった「手間抜き論争」は、企業が生活者と紡いだナラティブの好例だ。そしてそこには、コミュニケーションの余白の発想が見てとれる。

テレビ局などがこのネタに飛びついたのには、実は前振りがある。このツイートが話題になる前、やはりツイッターで「母親ならポテトサラダくらい作れ」とスーパーの惣菜コーナーで高齢男性が女性に絡んだ出来事が話題となり、テレビのワイドショーなどで取り上げられたからだ。テレビ局的にも、新たな「不寛容な社会」ネタだったという訳だ。

味の素冷凍食品は、突然の取材集中に戸惑いながらも、これを冷凍食品のパーセプションチェンジを狙う施策のフェーズ1と捉え、まずは1つひとつの取材に真摯に対応して投稿の意図を紹介していった。これにより「冷凍食品は手抜き? 手間抜き?」論争の話題化を加速させていく。

「冷凍餃子は“手間抜き”です」ツイートのあと若干ネガティブな反応も出たが、おおむね好意的に受け止められ、取材対応を続けることで好意と賛同の声を増幅させていった。

このような活動を地道に続けた結果、8月4日の発端のツイートから約1カ月で「手間抜きナラティブ」が広がっていき、その中の登場人物の1人としての「味の素冷凍食品の餃子」という状況を作り出すことができた。

「手間抜きナラティブ」を継続させる仕掛け

ここで終わらせたら、ラッキーでバズった、あるいは炎上しそうなところをうまく切り抜けた、ということだけで終わりだ。しかしこれは見方を変えれば思いがけない好機と言える。

うまく出来上がった「手間抜きナラティブ」を継続させ、冷凍食品のパーセプションを変え、餃子の売り上げアップにもつなげたい。それにSNSから始まった熱はすぐに冷めてしまう。ならばリソースを投入して、さらに仕掛けよう。やるならすぐに。こうして「手間抜きナラティブ」はフェーズ2へと進んだ。

このナラティブは「手間抜き」という言葉が響いた。次にやるべきは手間の可視化だ。公式アカウントでは「家庭で食事を作る人に代わって、従業員が手間と愛情を込めて作っているとも発信している、ならば、これを可視化するのが、ナラティブを前に進める打ち手だろう。

それにいちばん効果がある方法は、工場でどれだけ手間をかけているかを、世の中に示す「アンサー動画」を見せることだ。これを「手間抜き論争」のアンサーとして決論づける。

撮影は9月。新型コロナウイルス感染防止策を徹底し、撮影クルーも入念にシミュレーションしたうえで、撮影に臨んだ。

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