登校が辛い子の親に教えたい「休む」という選択 「なぜ行かないの?」とストレートに聞くのはNG

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心の健康を守る第一歩は、「休むこと」。ただし心の状態は、第三者には見えづらい。正しく判断することができるのは、本人だけである。

風邪をひいた子どもに学校を「休ませる」ことができるのは、症状が見ればわかるものだから。でも、心の不調は外に表れにくく本人も隠そうとしがちなため、親が「休ませる判断」をするのはほぼ不可能だ。

だからこそ、子どもが「自分で自分を守る」ためには、必要だと感じたら堂々と休める環境が必要である。

子どもが自分を守ろうとすれば、当然、自己主張も必要だ。その主張が受け入れられなかった場合、親以外の大人に頼らなければならない場面も出てくるだろう。そんなときにモヤッとしたら、3つの期待のいずれかをもっているということかもしれない。

子どもにとって、親の期待は重い。期待に応えるために子どもが頑張りすぎているかもしれないな、と考え立ち止まってみることをお勧めしたい。

「学校に行く必要性」を説いても意味がない

子どもが学校に行きたがらないとき、親はつい「学校に行かせよう」と考えてしまう。「病気でもないのに学校を休むのは……」「休まず、文句を言わず、ひとりで頑張ってほしい……」という無意識の期待を裏切る行動のように感じる。

しかし親が「学校に行く必要性」を説いても、あまり意味はない。「本当は登校したほうがいい」ということは、誰よりも子ども自身が知っている。それなのに登校がつらくなるのは、「行くべきだ」という気持ちを上回るほどのつらさを抱えているからだ。正確に言えば、「学校に行きたくない」のではなく、「学校に行きたくても避けざるをえない」と感じているのである。

こんなときは、「行くのを避けざるをえない」理由を知るべきだ。子どもの不登校リスクは、体と心の安全や健康がおびやかされたときに高まるもの。そして、その原因がいじめや教員との関係だったり学校での学習環境にかかわるものだったりした場合、解決には大人の手助けが必要だ。そんなときに適切なサポートをすることこそ、親の役割である。

子どもが学校を休むのは、親にとっても不安なものだ。でもそんなときこそ、「親の役割は、子どもの安全と健康を守ること」という原則に立ち返ってみてはどうだろうか。

子どもへの期待は、すぐに手放せるものではない。子どもとの間に葛藤が生じたとき、自分の中にある「3つの期待」に目を向けてみよう。それを意識しながら子どもと接するようにするだけで、親子の関わりがこれまでよりも少しだけ快適になるかもしれない。

学校に行きたくないことやその理由を自分から話す子もいれば、あまり言いたがらない子もいる。子どもが自分から話さない場合、「なぜ学校に行かないの?」とストレートに尋ねるのは控えたほうがいいだろう。

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