民主党政権の「3.11」対応に見る日本の現在地 脱原発に向け試行錯誤の中、抗議運動も広がる

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しかし、再処理を続けておきながら原発を止めるならば、プルトニウムが減らないのは自明である。これにアメリカが反発するのも、ある意味では当然だった。アメリカは、核不拡散という安全保障上の観点から、他国が再処理によってプルトニウムを持つことを懸念してきた。

ただし、日本は特別扱いされており、日米原子力協定では、核兵器を持たない国のなかでは唯一、日本が核燃料の再処理やウラン濃縮を行うことを認めている。つまり、例外である日本がさらにプルトニウムを溜め込むと、再処理の権利を主張する各国に示しがつかないのだ。

また、経済界や原発立地自治体も、自らの利益のために「2030年代に原発稼働ゼロ」に反対する。これらの反対を受け、野田内閣は方向転換を余儀なくされた。「革新的エネルギー・環境戦略」の閣議決定は見送られ、その代わりに「原発ゼロ」という言葉を省いた文書を閣議決定したのである。

抗議運動が盛り上がる

民主党政権が脱原発の方向性を試行錯誤するなか、原発への抗議運動は盛り上がりつつあった。

発端は、2011年4月10日に東京・高円寺で実施された「原発やめろデモ」である。主催者は、リサイクルショップ「素人の乱」を経営する松本哉で、祝祭的な場をつくることに長けた松本のアイデアもあり、1万人以上が集まった。原発災害後、最初に起こった大規模なデモとして特筆に値する。

その後、既存の団体や知識人の呼びかけによる運動も活性化した。2011年9月に東京・明治公園で「さようなら原発 五万人集会」が開催され、約六万人の市民が集結。同月、脱原発を主張する諸団体をつないで「首都圏反原発連合」が結成され、2012年からは首相官邸前での抗議活動が始まる。官邸前の抗議デモは、毎週金曜日に開催され、2012年6月から7月にかけては、主催者発表で20万人もの多様な人びとが集まる巨大なうねりとなった。

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