民主党政権の「3.11」対応に見る日本の現在地 脱原発に向け試行錯誤の中、抗議運動も広がる

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菅首相の特色がもっとも鮮明に出たのは、7月13日の「脱原発宣言」だった。エネルギー基本計画を白紙撤回し、「原発に依存しない社会を目指すべきだ。計画的、段階的に原発依存度を下げ、将来は原発がなくてもやっていける社会を実現していく」と述べた(朝日新聞 2011年7月14日)。

さらに、8月8日の衆議院予算委員会では、「脱原発宣言」のなかには使用済み核燃料の再処理や、もんじゅも含まれていると明らかにした。核燃料サイクルの見直しに意欲を示したことになる。

ただし、「脱原発宣言」は、内閣全体の意見ではなく、あくまで個人的な見解であり、具体的な道筋が示されたわけではなかった。すでに辞意を表明していた菅首相が、国民に直接的なメッセージを発しただけにもみえる。

菅首相による「脱原発宣言」

注目すべきは、核燃料サイクルの見直しに言及した菅首相への反対意見である。読売新聞は8月10日の社説で、「日本は、平和利用を前提に、核兵器材料にもなるプルトニウムの活用を国際的に認められ、高水準の原子力技術を保持してきた。これが、潜在的な核抑止力としても機能している」と主張した。

読売新聞は9月7日の社説でも、日本は核不拡散条約体制下でプルトニウムの利用が認められているとし、「こうした現状が、外交的には、潜在的な核抑止力として機能していることも事実だ」と繰り返した。

こうした主張は読売新聞にとどまらない。当時自民党の政調会長だった石破茂は、雑誌SAPIO(2011年10月5日号)で、「原発を維持するということは、核兵器を作ろうと思えば一定期間のうちに作れるという『核の潜在的抑止力』になっている」と述べた。

大手新聞社や影響力のある政治家から提起された潜在的核保有論は、核エネルギーの民事利用が軍事利用と不可分であるという核開発の歴史を思い起こさせるものだ。

さて、野田政権下では、原子力基本法に大きな変化があった。2012年6月、原子力規制委員会設置法が成立した。原子力を規制する機関の独立は長らく求められてきたが、原発災害後にようやく実現したのである。しかし、その附則第12条で、原子力基本法も改正された。通常の法律によって基本法が改正されるのは前代未聞である。では、どのように改正されたのか。

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