復興バブル一因…震災10年で増す「石綿」の恐怖 ずさんな建物の解体処理、問われる行政の責任
当時、東北の被災地には筆者もたびたび足を運んだ。目に映ったのは、ずさんな石綿対策しか取られていない現場ばかりだった。
岩手県宮古市の仮置き場では、アモサイト(茶石綿)含有の吹き付け材が張り付いたままの鉄骨が運び込まれ、そのまま鉄くずとして売却された。行き先はわからない。
仙台市の公費解体現場に行くと、2~3階の鉄骨の吹き付け材を分析せずに「石綿なし」と判断。飛散防止の対策を施さぬまま、7割を解体していた。発がん性の高い茶石綿は、ここでも四方八方に飛び散ったはずだ。
宮城県気仙沼市の解体現場で、石綿含有スレートを叩き落としていた業者に話を聞くと、「(飛散・曝露防止の対策に費やす)人手も時間もない」と言う。
工場の屋根や壁などでよく見かける波形スレートなどの成形板に至っては、きちんと飛散防止の対策を講じている例を見つけるほうが難しいくらいだった。
壊せば壊すほど儲かる状況だった
公費解体では、きちんと調査して石綿対策の費用を積算すれば、その費用も公費から出る仕組みだった。他方、解体費用は建物の規模に応じて1棟当たりの金額が決まっている。数をこなせば、つまり、壊せば壊すほど儲かる状況だった。
しかも公費解体の期限は1年。スピード勝負だった。真面目に石綿対策を講じていたら、時間がかかってもうけが減ってしまう。「元請けの社長のベンツは1台だったのに、震災後は3台に増えた」といった、復興バブルを象徴するような逸話はいくつも転がっている。
被災県の担当者は発災から1年経ったころ、「はっきり言って、今回、被災地のアスベスト対策は完全に失敗しました」と明かした。
石綿無策の解体を推し進めたのは、行政が呼び込んだ復興バブルにほかならない。公費解体の期間を1年に限った政策判断の責任は重い。
宮城県が2015年3月に公表した「東日本大震災―宮城県の発災後1年間の災害対応の記録とその検証―」は、津波により多数の建物が流され、そのため「予期せぬ場所にも石綿含有建材が流出している可能性があった」と認めている。津波で粉々になっても石綿の危険性が減るわけではない。むしろ広範囲に石綿を含む建材の破片がばらまかれた。
さらに不適切な解体があちこちで進んだ結果、「作業員や自宅の片付けに行った人、ボランティアなどが何も知らないまま石綿を吸わされたかもしれません」と前出の分析機関の技術者は言う。解体現場の周辺で高濃度の石綿が検出される事例も起きている。
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