山田邦子が今振り返る「ひょうきん族の思い出」 今はYouTubeにも挑む彼女の「生き抜く秘密」

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「ひょうきん族」の現場はとにかくノリが大事でした。ドリフターズのようにストイックに作り込む笑いとは真逆のお笑いです。ネタ作りは、作家さんが考えてくれた台本を元に出演者がそれぞれやりたいことを言います。それに、大道具さん、衣装さん、メイクさんたちも加わって、ああだこうだと一緒に盛り上がりました。そこから物語ができたり、替え歌が生まれたりしていくのです。

そして、1日が終わればディレクターもプロデューサーも一緒に飲みに出かけて、そこで出たネタが次の週にはもう台本に書いてあったりします。ですので、台本をもらうと自分のネタが採用になっているか、出番が多いか、もう台本が千切れるほど読みましたね。

けれど翌週の現場に行くと、収録前に出演者がみんな集まっているところでたけしさんが、「昨日こんなことがあってさ~」とワーッとしゃべってその場を盛り上げています。そのうち、「それじゃ本番」となりますので、結局台本を見ながら綿密な打ち合わせなどは、ほとんどありません。

細かな打ち合わせがない分、勢いのある現場ですから、食いついていかないと突っ立っているだけで終わってしまいます。するとどんどんカットされちゃうので、必死に入っていかないといけません。そこは結構もまれました。しがみついていくような毎日が刺激的でおもしろくて、濃厚な時間を過ごしていました。

メンバーにご馳走したり買ってあげたり

ひょうきん族のメンバーはざっくり言うと、関西から来た人たちと関東勢みたいな感じでした。太田プロと吉本興業が多かったからかもしれません。たけしさんが座長ですが、紳助さんが「今日どこ行く?」とか「何食べる?」とよく声をかけてくれました。

そのうちに関西の人たちも売れてきて東京にも部屋を持つようになります。紳助さんに引っ越し祝いに何がほしいかを聞くと、「みんなで鍋をしたいから鍋を買ってくれ。植木とかいらんいらん、コップや鍋とかそういうもんがいい」と言います。そのうちに、ほかの人もあれを買ってくれこれを買ってくれと言い出して、仕事の合間にちょいちょいデパートなどに行って選びました。紳助さんには、「鍋が割れた」と言われて買い直したこともあります。

俳優さんの場合はだいたい割り勘です。よほどの先輩なら買ってもらったりご馳走になりますが、お笑いの世界は1年でもデビューが早かったら“兄さん”とか“姉さん”と呼ばれ、先輩がすべておごることになっています。何でそうなっているのか知りませんが、これは今でもそうです。コント赤信号のリーダーやそのまんま東(現・東国原英夫)は私より年上ですが、私がおごっていました。いつか返してくれるだろうなと思いながらもう40年経っています。

そんなメンバーたちもひょうきん族で売れてだんだん忙しくなってくると、いっぱしに悩みを持つようになり、「オレたち、これでいいのか?」なんて語り始めて、突然泣き出したりしていました。男の人たちがみんなで泣いていると、私が泣かせているみたいな感じで、周りに見られるととても恥ずかしかったけど、青春ですね。

いちばんよく泣いていたのは、紳助さんかもしれません。自分のストーリーに酔っていくタイプでした。たけしさんもここぞというときは泣くんです、意外とね。それがまた母性本能をくすぐるんです。天性だからしょうがないけど、ずるいなと思うときもあります。

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