山田邦子が今振り返る「ひょうきん族の思い出」 今はYouTubeにも挑む彼女の「生き抜く秘密」

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「オレたちひょうきん族」の温かな仲間たちと当時の生活を振り返る

2020年に芸能活動40周年を迎えたタレントの山田邦子さん。昭和、平成の芸能界を駆け抜け、昨年からはYouTubeの世界にも挑む。還暦を過ぎてなお新しいことに取り組もうとする山田さんのパワーの源は何か? 山田さんが上梓した『生き抜く力』から一部抜粋・再構成して紹介します。

下積みなしで後の大御所たちと共演

フジテレビのお笑い番組「オレたちひょうきん族」が始まったときは、出演メンバーのなかでいちばん若かったかもしれません。明石家さんまさんや島田紳助さん、だいたいみんな私より5歳ぐらい上でした。それでもみんな若かったですね。ほとんどのメンバーが20代でした。

私は短大生の頃からアマチュアとしてお笑い番組に出たりしていて、夏目雅子さんと共演したTBSドラマ「野々村病院物語」(1981)で正式に芸能界デビューしました。そして、ドラマの終了と同時に「ひょうきん族」のプロデューサーだった横澤彪さんに誘われて番組への参加が決まりました。ですので、私には下積みの時期がありません。師匠もいないので、芸能界のしきたりなども全然わからないままでした。

とりあえず「おはようございます」と言うのはドラマの現場で覚えていましたが、収録現場では「あ、ビートたけしだ!」と素人丸出しです。何をやってもにこにこしているし、NGを出してもうれしそうな顔をしていたと思います。周りの人たちは「誰が連れてきたんだこの新人」みたいな感じだったかもしれません。気後れや物おじせずに、業界のなかに当たり前のように入っていけたのは、何がいけないかもわからないから、困りようもなかったからなんです。

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