つてを使って省庁に探りを入れても、彼らもどうしていいかわからなくて止まってた。いつまで避難が続くかわからないけど、この土地は捨てないって村の人は言う。僕らはこの地に合ったやり方を自分たちで調べながらやっていくしかない。農学部もいれば都市工学、環境デザインやってるやつ、物理学もいる。みんなで知恵出し合って「こんなのどうだ?」「よし実験しよう」なんてやっていたわけです。
例えば、田んぼの除染は水を張った表層5センチメートルの土のみ攪拌し洗い流してしまうのが理想じゃないかということになり、草取り用の農機具を使って実験、測定という具合。そうして得た実験結果は全部公開しました。「こっちのほうがいいかもしれないよ」と環境省に言いに行ったり。
支援者・被支援者という関係にしない
──活動のモットーは「現地で、継続的に、協働して、事実を基に」。
支援者・被支援者という関係にしない、という点も大事です。原発事故は被害者だけの問題ではない。原子力に対し批判的であれ、その電気を使って生活してきたということは、容認してきたことになる。その人間が、現地で被害に遭った人々に対し、私たちが支援しましょう、ではない。みんなの問題だから、協働してやるんです。
東京から通っていたとき、帰り際、奥さんたちが「どうもありがとうございます」とか「わざわざ申し訳ありません」とか言うわけ。これじゃ続けられないなと。いやいや自分のためにやっているんだから。そんな会話もうよそうよ、と。
──村の人たちと対話が空転したり、緊張感が漂うこともあったと。
僕らド素人がよかれと思って話し合いの場を設けても、裏目に出てしまうことがある。「言えない雰囲気ですよね」って言う若者がいた。十分に伝わらないと。なかなか帰村できない、このままどう職に就くか、この先何が起こるか、将来どうなるのか、皆目わからない。
遠慮する村民に、上から目線でとうとうと自分の経験を語る参加者もいた。みんな初めての経験で、対話を成立させるのは本当に難しいと感じた。以降、村の人たちにストレスがかからないやり方に会合を変えていきました。
──だいぶこなれてきましたか?
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