日本人に3ナンバー車は余りしっくりこない訳 5ナンバー車や軽が売れる鍵はサイズ感にあり

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クルマの区分そのものは、戦前の1933(昭和8)年に始まっている。それらの区分は、運転免許証の資格とも関係していた。当時の小型運転免許証は、学科試験と技能試験なしに交付された。ただしその小型車とは、今日の超小型モビリティーのような乗用車である。

戦後は次第に性能も上がり、1952(昭和27)年には軽自動車用運転免許が制度化され、16歳から軽自動車に限定して4輪乗用車を運転することができた。軽免許とちまたで呼ばれたそれは1968(昭和43)年までで終了し、当時13歳だった私は16歳で軽自動車を運転できる機会を失い、悔しい思いをした覚えがある。

1960年代の軽自動車の躍進とともに、1960年代半ばには日産自動車「サニー」、トヨタ「カローラ」、スバル「1000」といった大衆車が生まれ、多くの人が自家用車を持てるようになって、日本のモータリゼーションが開花する。

また、名神高速道路や東名高速道路が開通し、東京オリンピックへ向けて首都高速道路も建設されるなど、日本の乗用車もより高性能な高速時代に入っていく。

1980年代後半のバブル経済期となるに従い、3ナンバーの乗用車への期待が高まっていった。世相を視野に、1989年に3ナンバー車に対する自動車税が大幅に軽減され、5ナンバー車の税額との差が縮まった。タガが外れたように、3ナンバー車が増えた。

5ナンバー車という枠組みがない海外からの輸入車も、1978年に日本の輸入車関税が撤廃されたことによって、国産車と輸入車が競合するようになり、国産車も3ナンバー化はもとより、新車が出るたびに車体の大型化が進んだのであった。

世界共通の商品化によって大型化も進んだ

ことに、1990年代になるとグローバルカーの名の下に世界共通の商品化によって開発や製造の原価を抑えることが成長のカギになると考えられ、これも3ナンバー化や車体の大型化に拍車をかけた。

同じく1990年代以降は、衝突安全性能の競争にもなり、大きい車体ほど安全という傾向にもなった。

またカーデザイナーは、大柄になることで造形に抑揚を与えやすくなり、格好よい外観を創造できるとしたが、実は、衝突安全性能や空気抵抗の制約が起こり、今日では輪郭で違いを表現できなくなってきた。その結果、いかついグリルでの差別化が始まった。

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