「踊り子」の顔、ファンが愛した185系の名場面 国鉄末期に登場、2021年3月で定期列車から引退
昭和30年代に登場した157系の面影を少しばかり残しつつ、車体にグリーンの斜め3本ラインを入れたインパクトの強い塗装で1981年にデビューした185系特急形電車。特急形ではあるものの、特急から普通まで幅広い用途に運用できるという設計は、当時の国鉄が生んだ苦肉の策ともいえる車両だった。
今年2021年に運転開始40年を迎えるとともに、ついにこの3月のダイヤ改正で定期列車からの引退が決まった185系。改めてその歩みを回想してみたい。
窓の開く特急電車
185系は、それまで東海道本線などで急行から通勤用まで幅広く運用されていた153系急行形電車の置き換えを目的として1981年3月に登場した。従来の特急形と異なり窓は開閉式で、普通車はドアを1両当たり2カ所設置し、通勤列車としての運用時に乗降がスムーズになるようドア幅も広くした。
汎用性の高さを生かし、185系は当初から東海道線の通勤・通学用の普通、快速などにも使われた。特急形でありながら普通列車にも運用できるという設計思想の車両は国鉄で初めてだったが、この使われ方は、かつて「湘南電車」として一世を風靡した80系電車や157系など、過去に存在した汎用性の高い電車の使われ方と類似していると思うのは筆者だけだろうか。
185系といえば代表的な列車は特急「踊り子」であろう。この列車は1981年10月に、東京―伊豆急下田・修善寺間を東海道本線・伊東線・伊豆急行線・伊豆箱根鉄道駿豆線経由で運行する特急として運転が開始された。
だが、それまで485系や181系、183系などの国鉄特急形電車を見てきた筆者にとっては、窓が開く特急車はどこか違和感があった。愛称は川端康成の『伊豆の踊子』にちなみ、一般公募により決定したが、本来の作品名は「伊豆の踊子」であるのに、列車名は「踊り子」と「り」が入っていることにも違和感があった。さらに、ヘッドマークの「踊り子」のオカッパ頭の絵にもどこか馴染めないと、当時は思ったものだった。
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