日本が世界で躍進したのに今に繋がってない訳 持続的な発展の基盤が作られたかどうかは疑問
ただし、イギリスと違って、第1次産業革命を基礎とした産業や社会体制が確立していなかったのは事実です。したがって、イギリスにおけるように古い技術と社会構造が、新しい技術の導入の妨げになることはありませんでした。その意味では、リープフロッグ的な要素があったということもできます。
明治期日本の工業化では、国が大きな役割を果たしました。鉄道、電信・電話は、当然のことながら国営の事業として行われました。
1960年代ごろまでの日本でも、公益事業が国営事業になるのは、当然のことと思われていました。私自身も、アメリカでこれらの事業が民間の株式会社によって行われているのを不思議だと思っていました。
しかし、よく考えれば、大規模事業のために多大の資本が必要という点を除けば、これらの事業を国営や公営にする必然性はありません。政府の役割が大きいのは、後発工業国の特徴なのです。
明治政府は、鉄道、電信・電話のような社会インフラ的事業だけでなく、一般の工場の経営にも関与しました。江戸時代に藩が経営していた造船所や鉱山などを引き継ぐとともに、工部省が中心となって工場などを創設したのです。紡績所、鉱山、炭鉱、造船所など、多数のものが作られました。そのなかでも、八幡製鐵所、造幣局、富岡製糸場が有名です。これらは、三大官営工場といわれます。八幡製鐵所は、日清戦争勝利後の1901年(明治34年)に操業を開始しました。
官営工場の多くは、その後、民間に払い下げられました。生野銀山、佐渡金山、長崎造船所、高島炭鉱、三池炭鉱、富岡製糸場などが有名です。政府と密接な関係を持つ三井、三菱、古河などの政商に対して、無償に近い安い価格で払い下げられたため、財閥形成の基礎となりました。
巨額の資本を必要とする産業化が達成された
第2次産業革命は、重化学工業や鉄道など、巨額の資本を必要とする産業化の過程でした。アメリカやドイツにおいて、この過程では株式会社が重要な役割を果たしました。
鉄鋼、電気、電信・電話、石油、そして鉄道も、民間企業が株式会社形態で資金を調達したのです。これは、とくにアメリカの場合に顕著でした。アメリカでは、この過程で連邦政府が積極的な援助をしたことはなく、むしろ、独占禁止法によって、独占企業の市場支配を防ごうとしました。
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