意外と知らない?「国対委員長」の仕事の中身 立憲民主・辻元清美氏が語る国会での舞台裏
自民党では、田中角栄、金丸信、竹下登、梶山静六……。社会党では、田辺誠、村山富市、山口鶴男……。国対は、総理大臣や党幹部への登竜門ともいわれてきました。
かつては、自民党と社会党との金丸・田辺ライン、梶山・村山ラインというように、国対委員長の属人的なパイプで政治を動かしていた時代もありました。
対立していた自民党と社会党が連立政権を組んで村山政権が誕生したときは「信じられない」と驚かれましたが、村山さんは「国対族」で、自民党とも人脈があったことが大きく作用したともいわれています。
「たたかいの政治」へと移行する
ある自民党の国対委員長経験者が、国対委員長の条件を以下のように挙げています(『エピソードで綴る国会の100年』前田英昭、原書房)。
②衆参両院を展望する目を持っていること
③各政党の人脈関係を把握しておくこと
④どのような予算案、法案、条約が提出されるか把握しておくこと
⑤法案に軽重の順位を定め、優先すべき重要法案を見極めること
⑥各委員会の人事構成、とくに委員長と理事の配置に気を配ること
⑦各党の勢力分布を常に念頭においておくこと
⑧約束したことは守るため党内の調整をはかること
社会党の国対委員長経験者もこう語っています(同前)。
②妥協すべき案件と妥協すべきでない案件を常に区別すること
③公人と私人の区別を明らかにすること
④ペテンやハメ手は常用しないこと
⑤党内の取りまとめに努力すること
私は就任直後、この与野党の国対委員長の心得に目を通しながら、全身緊張でクラクラしていました。国対では、「話し合い」「根回し」と称して裏で手を握り、すべてシナリオはできている。与党から野党への宴会接待攻勢、わざと与党が負ける賭け麻雀、洋服お仕立券を渡すなど、もう絶滅したと思われる典型的な「オトコの政治」がある……。そんな話も先輩議員から聞かされたことがあったのです。
しかし、これらの話は、自民党は万年与党、社会党は万年野党という役割が固定していたときの話のようです。1993年の細川護熙非自民連立政権の誕生で「国対政治」は幕を下ろしたといわれています。選挙制度が小選挙区制に移行し、野党が政権を取る可能性が出てきたため、馴れ合い政治ではなく、政権交代を賭けた、たたかいの政治へと時代とともに変わっていったのです。
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