「ホームドア時代」に取り残された車両の運命 ほかの路線で元気に活躍する車両もあるが…

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

なお、第01編成は2008年9〜12月に千代田線で運用したことがある。これは千代田線用車両のJR列車無線のデジタル化等の工事を行っている間の助っ人だったが、東京メトロ3路線で営業運用実績がある珍しい車両となった。

東西線に転用された07系、現在B更新修繕工事を実施中で、内外装をリフレッシュ。外観ではフルカラーLED表示器が目立つ(筆者撮影)
千代田線に投入された06系は07系の兄弟車で、帯の色以外は07系とそっくりだった。千代田線へのホームドア設置を前に2015年に引退し、廃車となった(筆者撮影)
9000系試作車はドアの位置が量産車と異なるほか、空調カバーと通風機が独立し、側面表示器の位置が違う。また、前照灯は原型のままで、スカートも増設していない(筆者撮影)

現在、東西線もホームドアの設置が始まっているが、同線は標準ドア車とワイドドア車が混在する路線で、ホームドアの開口部が大きくなっており、07系でも問題ない。

一方、06系も千代田線に設置されるホームドアとドアの位置が合わなくなるという理由で、2015年に同線から撤退した。

07系と兄弟車の06系だったが、東西線には2010年から新型車両の15000系が投入されており、残念ながら06系が入る余地はなく、そのままひっそりと廃車。わずか22年という、東京メトロの車両としては異例ともいえる短命に終わった。

■東武鉄道9000系第1編成

東武9000系は有楽町線乗り入れ対応車両である。第1編成は試作車として1981年に登場した。東武として初のステンレス車であると同時に数々の新機軸が盛り込まれた。

また、ドア間の寸法を3m38cm(量産車は3m50cm)、車端部からドアまでの寸法を2m8cm(同1m90cm)と、変則的としていた。

9000系試作車は、1987年に登場した9000系量産車10両編成6本とともに、同年8月25日から有楽町線への乗り入れを開始。1994年12月7日の有楽町新線小竹向原―新線池袋間(現・副都心線小竹向原―池袋間)に合わせてマイナーチェンジした9050型を2編成増備した。

2006年10月より9000系に副都心線乗り入れ対応改造が実施されたが、ドアの位置がずれている9000系試作車は改造の対象から外された。

2008年6月からは9000系試作車に「有楽町線のみ入線可」を示す「Y」マークを貼ったが、原則として東武線内の運用としていた。

2010年5月22日に有楽町線でATOの使用が開始されたため、ATO装置を搭載しない9000系試作車は正式に地下鉄乗り入れ対応車両から外れ、東上線専用となっている。

MSEは新木場まで運行していた

■小田急電鉄60000形MSE車

小田急ロマンスカーMSEは小田急の箱根特急、通勤特急から地下鉄直通の特急、JR御殿場線の直通特急まで文字通りマルチな活躍をする車両として2007年にデビューした。

最大の特徴は東京メトロ千代田線に直通して、表参道、霞ケ関、大手町と小田急沿線を直結したことだ。「メトロモーニングウェイ」「メトロホームウェイ」はMSEのポテンシャルを最大限に発揮した列車だといえる。また「メトロはこね」は北千住から箱根湯本に直結する新しい観光特急を確立させた。

そんなMSEだが、デビュー当時は土休日に「ベイリゾート」という列車を運行していた。この列車は千代田線と有楽町線の短絡線を経由して新木場まで運行し、東京ディズニーランドなどへの行楽客を輸送。運行ルートも斬新で話題になった。

次ページ千代田線もホームドアの運用が始まったが…
関連記事
トピックボードAD
鉄道最前線の人気記事