
その発明によって国内の科学技術フェア高校生科学チャレンジ(JSEC)で文部科学大臣賞を受賞、そして翌年世界最大級のインテル国際学生科学技術フェア(Intel ISEF)に参加してチーム研究部門3位を受賞することになる。
「世界大会では、同じくロボット研究に懸命に取り組む海外の高校生たちと出会い、刺激を受けました。私は生き方がわからず自殺すら考えたことがある人間ですが、彼らは生きることにまったく悩んでいない。なぜか。やるべきことをわかっていたからです。みんな口々に『俺は、これをするために生まれてきた』『俺はこの研究をするために定めを受けて生まれてきたんだ』などという。少しやばいですよね(笑)。でもその考え方いいなと思ったんです。『何で生きてるんだろう、何のために生きるんだろう』と悩まなくていい。ならば、私もそう決めよう、と思いました。

では、私は何がしたいんだろう、そう突き詰めて考えた時、『孤独感はなぜ生まれるのか。孤独はどうすれば解消できるのか』この研究に人生を捧げたいと思いました。
自分が引きこもりの時に悩み続けた『自分はこの世に必要ではない、誰からも必要とされていないんじゃないか』と考えたような孤独感です。そして日本は高齢化社会が進んでいる。われわれもやがて、体が動かなくなって、外出困難になるんです。天井ばかりを見上げる日が来るかもしれない。人類は寿命を延ばすことには成功したけれども、寝たきりになった時、どう生き生きと自分らしく生きていけるのか。
もう、これは私だけの問題ではないと思いました。
その問いに答えるために人生を捧げたいと思ったのです。17歳の時でした」
分身ロボット「OriHime」が誕生するまで
その後、オリィさんは孤独を解消する1つの答えとして、人工知能(AI)ロボットを勉強しようと高等専門学校(高専)に編入した。しかし、寮生活の高専にはなかなかなじめなかった。
時を同じくして、自分の経験から“人はさまざまな人との出会いによって性格や人生を変えることができる。むしろ私はAIロボットではなく、体が不自由な人でもさまざまな人と出会うことができる、心を運ぶ車椅子を作るべきではないか”。そう思うに至った。そうして、オリィさんはインターネットとロボティクスの融合を研究するために、以前から誘いを受けていた早稲田大学創造理工学部に入学することになる。
「大学1~2年時はどうすればコミュニケーション力が上がるのだろうと、片っ端からサークルに入ってはやめるということを繰り返し、人格実験をやりました。社交性を上げるために、社交ダンススクールにも入りました(笑)。その中で改めて気づいたのが早稲田には自分の入りたい研究室がないということでした。大学3年生の時です。ならば自分で研究室をつくろうと自分のニックネームにちなんでオリィ研究室を開設しました」