「自分より後から入院した人が次々と退院しているのをみると、働ける人のほうが退院できないようで矛盾していると感じていた。でも何もしないのは嫌だったので、結局は働き続けた」(伊藤さん)
この病院はなんだかおかしいとわかったときには、長い年月が過ぎ、齢を重ねていた。「車の免許もないし、社会に出て生活できる自信もない。もうここに一生いるしかないと思うようになるなど、『施設症』に陥っていた」と伊藤さんは当時をそう振り返る。
子どものいる家庭が夢だったけど
転機となったのは東日本大震災だった。病院が被災したため茨城県の病院に転院し、翌2012年には退院することができた。転院先の主治医から勧められたグループホームでの生活を経て、今は群馬県内で1人暮らしをしている。
1人でも普通に家事をこなすなど日常生活に支障はなく、精神疾患の患者を支援するピアサポーターとしても活動する。絵を描くことが好きで、2年前には地元で個展も開いた。いまは「自由な日々をのびのびと過ごし、60歳からの青春を楽しんでいる途中です」と話す。
だが、長期入院の結果、婚期は逃した。「もっと早く退院できていたら、彼女もできたし、結婚もできた。この年だとなかなか結婚までは難しい。子どものいる家庭を作ることが夢だったけど……」(伊藤さん)。
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