日本人が「教育格差すら許容している」衝撃事実 家計が教育投資できるか否かが子の将来を左右

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逆に経済的にゆとりのない人や、父母ともに非大学卒で中小規模の市・町・村に住んでいる人などは、教育格差は問題であると回答していた。自分の境遇に恵まれている人ほど格差を気にせず、恵まれていない人ほど気にするとも解釈できるので、当然の結果かもしれない。

だが次の第3の事実はどうか。それは「今後の日本社会はどのように変化すると思うか」という質問、具体的には「貧富の格差が拡大するか」という問いに対して、「とてもそう思う」「まあそう思う」の合計が85.0パーセントに達していることである。つまり、日本では今後も格差社会が進行すると予想する人が圧倒的に多いのである。

「機会の平等」すらない時代に

これらから見えてくるのは、結果の格差も機会の格差も気にしない人が多数派になった日本社会の姿である。少なくともこれまでは、とくに教育に関して経済条件の差によって子どもに格差が生じるのはやむをえないという声は小さかった。

むしろ日本人の多数は、できればすべての子どもに平等な教育を与えるべし、と思っていた。だが、それすらない時代になってしまった。

自明のことだが、よい教育を受けることができれば、よい職業に就ける確率が高くなり、高い所得を得られる可能性が高まる。逆に言えば、よい教育を受けられない子どもは、よい職業に就ける確率が低くなるため、高い所得を得られる可能性が低くなる。

なぜ日本は、子どもの教育について結果の格差はともかく、機会の格差まで容認するようになってしまったのだろうか。以下に筆者なりのいくつかの仮説とコメントを挙げてみよう。

第1は、日本人の親は自分の子どもだけに関心を持っていて、他人の子どもはどうでもよいと思っている可能性である。あるいはそこまでではなくとも、社会全体の子どもまでは関心がほとんど及んでいないことが考えられる。

第2は、親の所得の多寡にかかわらず、能力の低い子どもにいくら教育投資しても、学力が高くなって有能な人に育つことはないと信じている人がかなりの割合でいる可能性である。

第3は、所得の低い親は自分が生活のために働くのに一生懸命にならざるをえず、子どものことまで考える余裕がないということである。

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