"次期首相候補"が石橋貴明に見せた「ウラの顔」 石破茂という政治家の本質はどこにあるのか
石破茂はそもそも、なぜ政治家になったのか。石橋が素朴な質問を投げかけた。
参議院議員を父に持つ石破が政治家になったのは「よくある政治一家の世襲」と思われがちだが、話を聞いてみるとそうではない。鳥取県知事、参議院議員、自治大臣を歴任した父・石破二朗には、政治家になることを強く反対された。「お前のような人がいい奴には政治家なんて務まらない」と言われた。
石破自身も政治家になる気は毛頭なかった。乗り物が好きな石破は航空会社や鉄道会社に入ることも考えたが、それは父親の反対を受け断念。結局、父の指示で銀行員の道を歩むことになった。
政治家への道をひらいた"首領"
しかし2年経ち、仕事が楽しくなってきた矢先にその父が他界。石破はそれを機に、図らずも政治家を目指すことになる。その道を半ば強制的にひらいたのは、時の総理大臣、田中角栄だった。
「日本の首領」と恐れられた田中角栄が24歳の青年に、本人の意思に反して政治家の道を切々と諭す様子を語る石破。結局、その首領の一言で石破の運命は一変してしまったという。
久々に聞く政界の大物の逸話に石橋も思わず聞き入ってしまう。しかし、ウラの顔はまだ出ない。
茨の道を歩む決意をした石破は、鳥取に戻って29歳で衆議院議員に初当選。そこから休むことなく政治家の道を歩むことになる。
話は、小泉純一郎内閣で初入閣したときのこぼれ話へと移る。小泉首相は当時仲の悪かった石破茂を防衛庁長官に任命。1本の電話をもらっていちばん驚いたのは、任命された本人。慌ててモーニングを新調したという。
ふだん聞けないウラ事情に、石橋も興味津々。しかし政治の話に戻ると、いつしか石破の顔から柔和な笑顔は消え、険しい顔になっていた。
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