テラハ・木村花さん急逝、現場に問う不幸の元凶 何が22歳女子プロレスラーを追い詰めたのか

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そして、その解釈を補強するように、次からの撮影は行われ、演出陣が描いたストーリーに沿って物語は進行されていく。そして、どこかでその物語は「面白く裏切られる」ことにならなければならない。どんでん返しで意外な結末に向かうように、出演者たちの行動はある程度、演出側の意図に沿った形で撮影・編集されていくのが通常だ。

これがもし、ニュース番組やドキュメンタリー番組であったとしたら、このような「演出意図に基づいた意図的な編集」は許されない。しかし、「リアリティーショー」なわけだから、出演者の行動はあくまで、面白くストーリーを展開するための素材にすぎない。

演出側は、それをリアリティーを損なわない範囲で“おいしく料理”して、ショーとして面白く仕上げていく。つまり、恋愛リアリティーショーの怖ろしいところは「出演者の人格がリアルなショーの素材として演出されてしまう」ことにあるのではないだろうか。

番組の展開上、「嫌な女」であることを求められた出演者は、「嫌な女」として描かれていく。「ズルいやつ」「裏切り者」「純情で可愛い女」「浮気者の男」「一途なイイやつ」……。プロデューサーやディレクター、そして放送作家の頭の中で決められた配役が、実在の人物に次々と「その人物が実際に持つ人格」として割り振られ、誇張されていく。

もちろんそれは、面白い恋愛ショーを作るうえではある程度必要なことなのではある。だが、制作側は「リアル」を謳う以上、出演者の実生活にその演出が与える影響を考えて演出しなければならないのではないか。番組がその人に与えた「誇張された人格」は、その人に良い意味でも悪い意味でも一生ついて回るのだから。

そして番組の性質上、出演者の多くはまだ若い、悩み多き未成熟で繊細な人たちであることも十分に考慮されなければならないのだと思う。

元・担当Pが訴える制作側の持つべき感覚

ABEMAの人気恋愛リアリティーショー「オオカミくんには騙されない」の初代プロデューサーを務めた、テレビマンユニオンの津田環さんは「きっと木村花さんは、すごくまじめに、自分の役割をわかっていて、期待に応えてプロの仕事したのではないか。そう思うと、可哀想でならない」と話す。

津田さんは、自らが恋愛リアリティーショーのプロデューサーをしていたときには、「ひとさまの子どもを預かって仕事をしていると常に思って仕事をしていました。すごく難しいとは思うけれど、つねにその辺りには気をつけていました」と言う。そして「今回のことはとても他人事とは思えません」と心情を明かしてくれた。

まさに、この「ひとさまの子どもを預かっている」という感覚が、われわれテレビ制作者には大切なのではないかと思う。もちろん、テラスハウスの制作者も誠意をもって番組づくりをしていただろう。

それでも自戒の念を込めて、あらためてわれわれテレビ制作者は「出演者の人格を素材として、番組を演出すること」についていま一度、その責任の重さを考え、自分に問い直してみる必要があると思う。

鎮目 博道 テレビプロデューサー、顔ハメパネル愛好家、江戸川大学非常勤講師

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しずめ ひろみち / Hiromichi Shizume

1992年テレビ朝日入社。社会部記者として阪神大震災やオウム真理教関連の取材を手がけた後、スーパーJチャンネル、スーパーモーニング、報道ステーションなどのディレクターを経てプロデューサーに。中国・朝鮮半島取材やアメリカ同時多発テロなど海外取材を多く手がける。またAbemaTVの立ち上げに参画。「AbemaPrime」、「Wの悲喜劇」などの番組を企画・プロデュース。2019年8月に独立し、多メディアで活動。公共コミュニケーション学会会員として地域メディアについて学び、顔ハメパネルのメディアとしての可能性をライフワークとして研究する。近著に『腐ったテレビに誰がした? 「中の人」による検証と考察』(光文社・2月22日発売)

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