”ヤンキー管理職”の下は死屍累々 精神科医・斎藤環×歴史学者・與那覇潤(4)

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與那覇:そういう戦前の無責任の体系を、丸山たち進歩派は当初、民主主義で克服しようと考えたのですが、やってみてわかったのは実は、民主主義は究極の無責任の体系にもなってしまうということだったんですね。「だって、お前らが選んだんだろ。俺は奉られてるだけだ」って政治家が言っちゃえばいいわけだから。橋下さんはそこがわかってるから、「嫌なら落とせばいいじゃないか」という言い方をする。

斎藤:それは日本型解釈のトンデモ民主主義的な発想ではないでしょうか。個人主義抜きの民主主義は、結局は無責任な中間集団の競合になってしまう。国益以前に省益をめぐって汲々とする日本の省庁が良い例ですね。本来は、その立場になった人が決断をして責任を取るべきだというルールはあるんだと思います。それが本音主義に覆されてしまうところに日本的民主主義の限界がある。

與那覇:「ネット民主主義」に限らずそもそも民主主義自体、ヤンキーでも操作可能なようにモディファイされたかたちでしか、日本では定着しない、ということですよね。

斎藤:残念ながらそうなんですよね。ヤンキーにアニメを見せようと思えば、ジブリ的なマーケティングをするしかない、というようなことにもなってくるのと同じです。

補助輪付きの民主主義

與那覇:ヤンキーは切断をいちばん嫌うのに対して、日本のインテリは「まず切断しろ」って言う人が多かったと思うんです。戦前だと、共産党で一時エースだった福本和夫が「分離結合論」といって、しっかり意識の高い前衛党を、いったんは大衆から分離しないとダメだと。戦後には丸山眞男が、日本は8月15日でもう戦前と切断されて、民主国家になったんだ、と説きましたよね。

斎藤:ということにしましょう、と。森鴎外の「かのように」の論理ですね。意識されたウソの上にしか価値は成立しない、と。切断されて民主国家になりました、というウソをみんなで演じていこうと。

與那覇:一度は切断しよう、ないし切断されたことに「しましょう」と言うんだけど、なにせ一般国民がみんな潜在的にヤンキーではそもそも分離できないことに気がついて、苦悩したり転向したりするわけです。一番穏健な転向のしかたが、インテリとしての理想を捨てずに、ヤンキーでも操作可能なかたちにモディファイするというものだった。

いま思うと55年体制というのは、奇跡的にそれがある程度できていたんですね。たとえば九条平和主義って、左版のヤンキー思想だったからこそ定着した面がある。

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