ジョブズが愛した「黒セーター」に隠された秘密 「イッセイミヤケ」が生んだ唯一無二の世界
1980年代には、プラスチック、紙、ワイヤーなど布以外の素材を使った服作りに挑戦、これを「ボディーワークス」と呼んだ。コンピューターをフル活用したジャカード織の柄を作品の中で展開するという試みも行った。
1988年には新しい発想のもとにプリーツ(規則的に繰り返し畳むことで作られた衣服のひだ)を展開する。プリーツのかかった布地で服を作るのではなく、服のかたちを作った後でプリーツ加工をするという技法を使うのである。
以後、プリーツの可能性を大幅に押し広げ、1993年には「プリーツ プリーズ」を単独ブランドとしてスタートさせる。このプリーツ服は、流行に左右されない機能性と美しさを持つ便利なアイテムとして日常に溶け込んでいる点で、ファッションというよりもむしろ工業製品に近い印象である。
姿勢と美学において、相通じる志向のジョブズ
研究と改良を重ねてこれを世に出したイッセイも、どちらかといえば「エンジニア」と呼びたくなる。アップルの創業者、故スティーブ・ジョブズがイッセイ・ミヤケの黒いセーターを愛し、これをトレードマークとしたことはジョブズの自伝にも書かれている。2人には、装飾をできるだけそぎ落とし本質を追求する姿勢と機能性を両立させるという美学において、相通じる志向がある。
ジョブズは2014年以降、一大トレンドとなった「ノームコア」(ノーマル+ハードコア。つねに同じスタイルを貫く)というスタイルの究極のアイコンとして、ファッション欄に頻繁にその姿が引用された。
2007年には東京六本木にデザイン拠点「21_21 DESIGN SIGHT」をオープンし、数々の知的な展示やイベントを成功させている。イッセイがファッションをデザインの一領域として確実に高めたことの象徴にも見える拠点である。
2009年には、「ニューヨーク・タイムズ」への寄稿の中で、幼少時における広島での被爆体験を初めて公表した。母を後遺症で失うほどの体験を経て「破壊ではなく創造できるものについて考えることを好んできた」と彼は語る。
地球に配慮した1本の糸作りから、最先端技術を駆使した製品まで、その制作プロセスには、関わる人の息吹が感じられる。もの作りの過程そのものを「デザイン」して人々を幸せにする、そんな先駆的な知性と行動力の背後には、平和への並々ならぬ強い意志がみなぎっている。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら