自衛隊の「不発弾処理隊」のスゴイ仕事っぷり 那覇駐屯地所属の処理隊は1日2回の出動も
不発弾といえども爆弾には依然として火薬が残っていて、何らかの要因(動かす、上から物が落ちてくるなど)で信管が作動すると爆発してしまいます。いつ爆発するかわからない、その危険性を秘めているのです。したがって、不発弾処理に求められるのは、状況の正確な把握と的確な処理。
東京で不発弾処理というと「たまに報道で見るかな」くらいのイメージでしょう。ところが、筆者が沖縄で陸上自衛隊を取材しているとき、那覇にある陸上自衛隊第15旅団のトップである旅団長の話を聞くと、なにげなく「1日2回位は出動してますよ」と言われ、衝撃を受けました。「1日ですか!?」と。沖縄で不発弾が多いのは太平洋戦争で地上戦が行われたからです。
2018年の1年間で675回緊急出動
以下、那覇駐屯地・第101処理隊への密着取材をしたときの様子をお伝えしましょう。
沖縄は先の大戦の激戦地。それゆえ、残された不発弾の数も桁違いで、毎日のように発見の通報があり、那覇駐屯地に所属の第101不発弾処理隊が緊急出動しています。自衛隊統合幕僚監部によれば、2018年の1年間で675回。平均すれば日におよそ2回の緊急出動があることになります。
先の大戦での沖縄戦で最後に激戦地となったのが、本島最南部、ひめゆりの塔や白梅之塔、平和祈念公園がある糸満市です。ここでは、日米双方の不発弾が見つかります。弾の種類も形状も本土と比べ物にならないほど多く、銃弾から野戦砲弾、ロケット弾、さらに艦砲射撃の砲弾まで、ありとあらゆる不発弾がいまだに残されているのです。
1974年3月には、那覇市で下水道工事中に不発弾が爆発。隣接する幼稚園の園児ら4人が死亡、34人が重軽傷を負うという痛ましい事故もありました。
第101不発弾処理隊に密着したこの日の午前中は、発見された不発弾の処理を地元自治体と協議する場を取材しました。場所は、沖縄本島中東部の西原町。不発弾が発見されたのは、この年4度目だそうです。町の副町長さんはこんなふうに話してくださいました。
「毎年こんな感じ。なれすぎてこわい。自衛隊には頭が下がる。戦後69年、不発弾はあと70年ないとなくならないと聞く。自衛隊は命を張っていてすごい。頭が下がる……。たのもしい」
この日だけで、第101不発弾処理隊の緊急出動は6件。ほぼ毎日が緊急出動の連続で、編成されて以降、不発弾処理の件数は37487件、処理重量は1805トンにも及んでいます(2019年3月29日現在)。
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