実際は繊細だった本田宗一郎 桃山学院大学客員教授・門脇轟二氏②

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かどわき・こうじ 1942年生まれ。65年大阪外国語大学中国語学科卒業、本田技研工業入社。欧米など海外畑を歩み、98年に広州汽車と合弁設立した広州本田汽車有限公司の総経理就任。2000年には外国人として初の広東省労働模範に選ばれる。07年より桃山学院大学客員教授。

学生時代に友達の下宿で『俺の考え』(本田宗一郎著)という本をたまたま手に取り、読んでみると面白かった。こういう人の下で働くとおもしれぇだろうな、と思ったのが入社するきっかけです。

 実物は本当に強烈でした。入社後に1週間ほど缶詰め状態で研修を受けていたときのことです。ある日、「これから本田宗一郎社長が講話をされます」と言われ、朝から緊張しながら待っていた。ところが全然やってこないんですね。すると、板張りの廊下をドッ、ドッ、ドッと大きな足音を鳴らして、白いツナギを着た“おっさん”が部屋にボーンと入ってきた。開口一番「てめぇら、ざまぁみやがれ!」です。

「今日から学歴など関係ねぇ。卒業証書は燃やしちまえ。俺っちの会社は実力だ」とぶちかましたそのとき、にわかに外が曇り始め、雷の音がゴロゴロ…そして大雨がザーッ。まさに“雷親父”ですよ。「会社のために働くなんてとんでもない」「自分のために働いて、その結果、会社がプラスになりゃぁいい」。そんな話がダーッと続きました。えらいところに来ちゃったなと思った。

サービス精神はすごかった

入社後、私は何度かご一緒する機会があったのですが、実は、非常に繊細な方でした。自分が会う人やお客さんに対して、どうやったら喜んでもらえるかをいちばん考えておられた。どんなケースにおいてでも、常にそうです。社内では不機嫌なときもありましたが、販売店の方が来ると「やぁ、皆さん。今日はお世話になりまーす!」。パッと切り替えて出て行く。歌舞伎の花形役者が見得を切って花道を歩くような雰囲気で、サービス精神はすごかった。だから、私の入社直後の講話でも、おやじは天気予報を見て、わざと遅れて来たんだろうと思っています。

口幅ったいですが、そうした言動を多少意識するところはあったかもしれません。2003年初に新モデルのアコード発表会を行い初日はジャーナリストが集まった。壇上から見ると150名ほどおり、今夜乾杯したら翌日の販売店大会は体がもたないと即座に思った。スピーチ原稿は横に置き、日本では大きな目標を立てたとき、自分の大好きなことを一つ断つという考えがある。だから今から酒を断ちますと言ったところ会場はワッと盛り上がりました。

冗談と思われたようですが私は本気でやめようと思った。新モデルと合わせて生産24万台体制への拡張を発表しており、それを達成するまではと。結局、酒を口にしたのはリタイアを決めた04年3月です。

週刊東洋経済編集部
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