高円寺の「銭湯」に20~30代女子が通い詰める訳 競合は「スタバ」、公衆衛生からレジャー施設へ
幼い頃から「銭湯の家の息子」として育った平松氏は、いずれ銭湯を継ぐことを意識し、大学卒業後は住宅メーカーの営業や人材関連ベンチャーなどで経験を積んできた。そして、36歳になった2016年、会社を辞めて小杉湯に入った。同時に、これまで2代目の父親が個人事業主として運営していた小杉湯を、株式会社として法人化。そして、平成から令和に年号が変わった2019年5月、代表取締役として小杉湯の3代目に就任した。
ところが、会社としての体裁を整えるうえで、課題は山積していた。「小杉湯にとって、初代の祖父はカリスマ的存在。2代目の父はそのやり方をいかに守るかを重視してきた。ただ、その結果として時代に合わなくなっていた部分も多かった。例えば、勘定は文字どおりどんぶりで、経理という言葉すらない。営業は、家族とパートの数人でまわして、われわれは休みを取らない、という自己犠牲の下に成り立っているなどといった点だ」(平松氏)。
ただ、3代目の平松氏はいい意味で“カリスマ”の時代を知らない。「祖父が働いているところを見たことのない僕が次の世代に残すべきは、カリスマに代わる“経典”のようなもの。ロゴや企業理念といった言葉がそれに該当するだろう」(同)。ただ、社会人経験のある平松氏でも、日々銭湯を営業しながら、こうした戦略を練るのはなかなか難しい。
元広告マンの相棒が描くストーリー
そんな小杉湯にとって強力な経営パートナーが、2019年10月に加わった。CSOの菅原理之氏(38歳)だ。「CSO」とは、造語である「チーフ・ストーリーテラー」の略。小杉湯というブランドの管理や経営企画を中心に担うが、社員はたったの3人。場合によっては、経理や番頭、バイトのシフト管理までこなすこともある。
実は菅原氏、9月末までは大手外資系広告代理店で有名グローバル企業を複数クライアントに抱える広告マンだった。それがなぜ、銭湯への転職を決意したのか。菅原氏はこう語る。
「昇進すれば、お給料が上がり、権限も増える。会社員としての王道ルートを歩んでいたにもかかわらず、それに幸福度が比例していかなかった。広告は、顧客の都合でこれまで育ててきたブランドが突然変わることも珍しくない。だんだん、いったい誰を向いて仕事をしているのか疑問に思えてきた」
そんなときに出合ったのが銭湯だった。「銭湯の世界観が自分にすごくフィットすることを知った。40代を手前にして、何もかも手に入れて生活を向上させたいというより、自分に合った仕事を選びたい、と考えたとき、銭湯はとても魅力的な仕事だった。お客さんの顔が見えるので、誰のために働いているのかも明確にわかる」(菅原氏)。
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