がんになった緩和ケア医が悟った余命の真実 食べられなくても生きられる時は生きられる

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手術から4カ月経つと、ようやくしゃっくりも治まり始め、つらいながらも、少しずつ「日常」を取り戻しつつあった。

非常勤の仕事も、少しずつ再開し始めていた。緩和ケア病棟への入院を考える患者さんやご家族の思いを聴き、病棟での生活を具体的に示す面談外来を午前中のみ、週2回ほど。お会いするのは私と同じくがん患者で、治療がもう困難となった人たちが主体だ。

この状態で緩和ケア医としての勤務を再開したことに、驚く人も多いと思う。だが、妻も子どももいる身だ。がん保険に入っていて助かっているとは言え、抗がん剤には費用がかかる。少しでも動けるのならば、家でじっとしているよりも働いているほうがいい。

何より、患者さんに向き合うことで、意識がわがジストに向かないばかりでなく、食事が摂れず体重と体力が奪われていく自分でも、まだ誰かの役に立てるというやりがい──ひいては私の生きがい、すなわち生きる意味を感じることができた。

突然やってきた心境の変化

ただし悲しいかな、面談を受けるほとんどの患者が、私よりも元気だった。元気に見えた。

そしてあるとき、ふと思った。

「10万人に1人のジストになったんだ。これからは、人のやらないことを1つでもやって生きていこう」

心境の変化は突然やってきた。

オレは今、生きている。食べられなくても半年生きてきた。もちろん他のがん患者さんと比べることはできないし、意味のないことだ。それぞれの病状も、置かれた環境も違う。

でも今、オレは確かに生きている──ただシンプルにこう感じることができたのだ。

「食べられなくても、生きられる」

こう考えられるようになって、ふぅっと全身の力が抜けたような気がした。

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