独裁者たちが「デザイン」にこだわった理由 ヒトラーやムッソリーニ、毛沢東の手法とは

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──ただ、「拒否する視線」はほかと視線の主体が違います。

独裁者からの強烈な視線だけだと一方的すぎるので、見られる側の視線を差し込んだのです。例えば、ヒトラーやスターリンのフォトモンタージュによるパロディー。また、スターリンに捨てられたロシアアバンギャルドのある画家は、のっぺらぼうの顔を多く描くなどしました。独裁者の視線を拒否する姿勢といえます。

ヒトラーはデザインの重要性知っていた

──方法変更でもナチス関連が多い。ナチスはなぜデザイン重視?

ヒトラー自身が画家志望だったので、デザインの重要性を知っていたというのもあるけれど、やはり宣伝相だったゲッベルスの存在が大きい。ヒトラーの思いをデザインに乗せてプロパガンダを展開した。また、ムッソリーニと比べると、ローマの古代遺跡のようなプロパガンダに利用できるものがドイツには乏しかったため、一から作り上げなければならなかった反面、統一感、徹底性で強烈な印象を残すデザインができた。

松田行正(まつだゆきまさ)/1948年生まれ。中央大学法学部卒業。グラフィックデザイナー、「オブジェとしての本」を掲げる出版社、牛若丸の主宰。『眼の冒険』で講談社出版文化賞ブックデザイン賞受賞。2012年前の著書『はじまりの物語』を契機に、さまざまなデザインの起源の探索を始める。(撮影:今井康一)

──権力者の周囲の人間によりデザイン利用の濃淡がありますね。

毛沢東の場合、ゲッベルスに当たるのが『毛沢東語録』を企画した林彪だったのではないかとみています。というのも、林彪事件で彼が死んだ後に、デザイン的に見るべきものがないのです。ロシアでは、レーニンなんてデザインにまったく関心がなかったので、マイナーな存在だったアバンギャルドはレーニン側近のルナチャルスキーに売り込み、優れたデザイン性で隆盛期を迎えます。が、スターリンもデザインに無関心なうえ、芸術はリアリズムの時代となり、抽象的なアバンギャルドは形式主義と貶(おとし)められました。

──同時期の日本のデザインは?

日本にはデザインの重要性に対する認識がほとんどなかった。1942年にプロパガンダマガジン『FRONT』が創刊され、フォトモンタージュなどは評価されたけれど、そもそもアバンギャルドの生き残りが関わった『建設のソ連邦』のまねで、デザイン的な凝り方で負けていた。

太平洋戦争前から戦争中にかけて、アメリカは日本人の顔をネズミや虫のように表現するなど、えげつないヘイトポスターをたくさん作りましたが、白人に対する微妙な劣等感もあって、表現でやり返せない。「鬼畜米英!」が精いっぱい(笑)。もともと日本は標語など言葉のプロパガンダが主体でした。

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