「クレイジージャーニー」「消えた天才」不正の闇 TBSの組織的な不祥事か、個人の過ちか

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視聴者は「そのまま見せてくれればいいし、失敗しても面白い」と思っているのに、制作サイドが「もっと面白くしよう。失敗はありえない」とやりすぎてしまったという図式は、昨年11月に報じられた「世界の果てまでイッテQ!」の祭り企画と同じ。奇しくも、「消えた天才」と「世界の果てまでイッテQ!」は同じ時間帯に放送されていますが、局を超えて同じ不正を行ってしまったところに、テレビ業界の闇を感じざるをえません。

しかし、「上司からの具体的な指示で不正に至ったか」と言えば、その可能性は低いでしょう。私は日ごろさまざまな番組を取材していますが、その際プロデューサーから「現場のスタッフはディレクター以下、本当に頑張ってくれています」、現場のディレクターから「一生懸命やっていますが、いっぱいいっぱいです」という声を聞くことがよくあります。これは美談ではなく、期日や予算などの条件が厳しいことの表れであり、不正を行ってしまう根っこの部分にほかなりません。

事実として、「厳しい条件の中で、過去の放送と同等以上の映像を作らなければいけない」というプレッシャーを抱えている現場スタッフの姿をしばしば目にしますし、彼らも上司から評価を下される会社員。プレッシャーから逃れ、評価を得るために、「これだけ厳しい条件なのだから、これくらいのことは大丈夫だろう」「最終的に視聴者に喜んでもらえるものになれば大丈夫だろう」という発想が生まれるのでしょう。

その「このくらいは大丈夫だろう」、さらに「ほかの人もやっているから」という利己的な感覚こそが問題であり、彼らの上司がそれを不正と知りながら「撲滅しよう」と自ら動いていないことも闇の深さを物語っています。

「できた」シーンを絶対視しない

では、今回のような不正を繰り返さないために、どんな対策が必要なのでしょうか?

その答えは、主に以下の2つ。

1つ目の対策は、「できなかった」ことをドキュメンタリーとしてリアルな映像と見なして通常通り放送すること。とくにリアリティーで人気を集めている番組であれば、「できなかった」シーンを見せることで視聴者にその難しさが伝わるとともに、のちに「できた」シーンの価値も上がるでしょう。

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