フェイスブックはもう「旬」を過ぎたのか? ユーザーの8割はいなくなる?

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 「Facebook」するという動詞を作ろう

その姿は、大きなひとつの囲いの中でつながりの線を増やしていくフェイスブックに対して、自分の「サークル」を持つスタイルを取ったGoogle+のイメージに近い。もちろんGoogle+がフェイスブックほどの影響力を持たないことは事実だが、デザインの思想としては納得感の強いものといえる。

もうひとつ別の側面は、日本人からすると実感の湧かない話だが、現在もなお、デスクトップで使うインターネットからモバイルで使うインターネットへの移行期間であるということだ。そして、グーグルもフェイスブックもデスクトップ時代のインターネットサービスであり、グーグルはそのコンプレックスを解消するためにAndroidで覇権を取ろうとしている。

筆者がたびたび指摘しているのは、モバイル時代になればなるほど、サービス名は明確な行為の名前、すなわち「動詞」になるべきというアイデアだ。「Google」はウェブ検索するという明確な動詞になり辞書にも載った。その動詞をモバイルでも実現できるよう、グーグルは努力している。「Instagram」はスクエアでイケてる写真を撮って共有すること、「Twitter」は140文字での情報発信、「Uber」はタクシーを拾うこと、「LINE」はスタンプ付きのメッセージ(トーク)を交わすことだ。

では「Facebook」は何の動詞になっているのか。つながること? 写真を共有すること? 「いいね」すること? ギフトを贈ること? どれも機能のピースではあるが、これといった明確さがない。

もちろん現在ある世界最大のSNSという資産は最大限に生かすべきだし、大切にしていくべきだ。こうした資産を背景にしたからこそ、同社のメッセージ機能は、誰かとコミュニケーションを取るうえでメールの便利さを上回っている。

しかし「Facebook」を動詞化するためには、何らかの大きな転換が必要になっているのではないか。たとえば自分らしさを最大限に拡張する自分の居場所。こう考えると、すでに縮小してしまったマイスペースというフレーズが浮かんでしまうので、この例はあまりよくないのだろう。

松村 太郎 ジャーナリスト

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まつむら たろう / Taro Matsumura

1980年生まれ。慶應義塾大学政策・メディア研究科卒。慶應義塾大学SFC研究所上席所員(訪問)、キャスタリア株式会社取締役研究責任者、ビジネス・ブレークスルー大学講師。著書に『LinkedInスタートブック』(日経BP)、『スマートフォン新時代』(NTT出版)、監訳に『「ソーシャルラーニング」入門』(日経BP)など。

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