小学校受験対策「けん玉の攻防」が映し出す本質 試行錯誤で成功も失敗も経て内面の力を磨く

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第2回戦の笛の合図とともにけん玉を振り上げる。残った子どもは9人。惜しくも球が乗らなくて座ることになった子どもの中には、「〇〇君がんばって!」と応援する子どももいれば、涙目で泣くのを必死にこらえて小さな肩を震わせている子どももいた。まるで時間が静止したかのような張り詰めた空気の中、見守る保護者も涙目でハンカチを握りしめている。

第7回戦まで続いたこの戦いは、ついに残り2人の対決となった。2人はお互いにらみ合ったりいがみ合ったりするわけでもなく、口を真一文字に閉じ赤い玉を見つめている。そう、これは自分自身との闘い。

笛の合図で2つの赤い玉は宙を舞った。見事に2人の玉はカツンと音を立てて乗った。保護者も子どもも感嘆の声を漏らす。まるでテニス観戦のように、弧を描く玉をその場にいる誰もが同じ軌道で首を振り、目で追う。一瞬で決まるこの勝敗。息の詰まるような空気の中、2人は果敢に挑んでいる。親たちの心臓の音が部屋に響いて集中の妨げにならないか不安になるほどだ。

誰もが予測しなかったであろう結果に

8回目の笛の合図が響き渡ったその瞬間、玉の動きはスローモーションに見えた。そしてその場にいた誰もが予測しなかったであろう結果になった。

2人仲良く……乗らなかったのである。驚いたのはそのあとの出来事だ。ライバルであったはずの2人が、最高の笑顔で抱き合ったのだ。その姿に心を打たれた保護者と体育座りをしていた子どもたちは一斉に立ち上がり、2人の勝者を賞賛の言葉で包み込んでいた。

さながらトップアスリートのように感動を私たちに与えたこの子たちは、何を隠そうまだ5、6歳の未就学児なのである。

一体なぜ小学校受験の塾で「けん玉コンテスト」というものが開かれるのか。小学校受験の試験内容にけん玉があるわけでもなく、けん玉ができたところで試験に合格するというわけでもない。

小学校受験は、「ハードルが高くてお金がかかる」「子どもに小さいうちから勉強させるのは可哀想」というイメージが根強くある。勉強を幼少期の子どもにさせる意味はなんだろう。

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