ギリシャ時代のワインの意味合い《ワイン片手に経営論》第2回 

 これほど、ワインは魅力的な産品でした。この魅力を表現した言い伝えはいくつもあります。

「険しい山々で狩をしたヘラクレスは、泊めてもらおうと半人半獣のポロスのもとを訪れた。ポロスは身分の高いこの客人に敬意を表して、ディオニュソスから授けられた貴重なワインの入った大壺のふたを開ける。甘美な香りが漏れ、外へと広がる。その香りは近くにいたケンタウロスたちを引き寄せ、彼らはポロスのワインを奪おうと家を襲うが、外に出てきたヘラクレスに追い払われる。(*)」

「もっとよこせ、お願いだ、そして今すぐおまえの名を教えよ、ああ客人よ、俺はおまえに、おまえを喜ばせる贈り物をしたいのだ。(*)」と鍛冶技術をもった単眼の巨人の神であるキュクロプスがギリシャ神話の英雄であるオデュッセウスに語りかけます。

 酔っ払うという現象は、当時の人たちにとって衝撃的な経験であったのだと思います。その衝撃は時には誤解を生み、オデュッセウスの義父がワインを知らない羊使いにワインを飲ませたら、その経験したことのない酩酊感に毒を盛られたと勘違いしたという話も残っています。現代的な科学知識がない時代でしたから、「酔う」という感覚は、本当に不思議だったのだと思います。この不思議さは、神秘さでもあり、後のキリスト教の信仰においてもワインが欠かせない飲み物となっていくきっかけとなります。

 このようにワインは、その存在を知る誰しもが欲しがるものでした。当時は、まだ物々交換と貨幣経済が混在している時代でしたが、ワインは換金性や対物交換性が高い産品で、まるで貨幣のような価値があり、貴金属よりも交易に使われることが多かったそうです。

 これは、財務用語でいうところの流動性の高さを意味しています。「Cash is King」という言葉がありますが、この言葉の本質は「流動性 is King」ということです。現金は常にして便利です。バランスシートの縦軸を想像すれば、現金が最も流動性が高く、すぐに財やサービスの購入や負債の返済に使える有用な資産であることは一目瞭然ですが、この流動性は、経済活動を支える重要な性質であります。こうした意味から、ギリシャにとってワインは現代で言うところの現金にも似た機能を果たしており外貨獲得手段でもあったのではないかと思うのです。まさに、ブドウは金のなる木であったのではないでしょうか。

 ギリシャ文明は、われわれの想像を超える極めて優れた哲学や文化を生み出しました。その発展は、人口増加をもたらし、増加した市民に充分な食糧を調達する必要を生じました。そして、ワインという高い流動性をもった商材とそれがもたらす莫大な利益が、国外や植民地から必要な小麦、香辛料、家畜などを輸入することを可能にし、ギリシャの食糧需要を満たしてきたのでしょう。

 これだけ、価値の高いワインですから、そのビジネスにも当然競争があり、それを支える技術がありました。そこで、次回は、このギリシャ時代のワインビジネスを支えた技術についてご紹介します。

*参考文献 ロジェ・ディオン『フランスワイン文化史全書ブドウ畑とワインの歴史』国書刊行会、『ソムリエ・ワインアドバイザー・ワインエキスパート教本』社団法人日本ソムリエ協会、ヒュー・ジョンソン『ワイン物語(上)』平凡社
《プロフィール》
前田琢磨(まえだ・たくま)
慶應義塾大学理工学部物理学科卒業。横河電機株式会社にてエンジニアリング業務に従事。カーネギーメロン大学産業経営大学院(MBA)修了後、アーサー・ディ・リトル・ジャパン株式会社入社。現在、プリンシパルとして経営戦略、技術戦略、知財戦略に関するコンサルティングを実施。翻訳書に『経営と技術 テクノロジーを活かす経営が企業の明暗を分ける』(英治出版)。日本ソムリエ協会認定ワインエキスパート。
◆この記事は、「GLOBIS.JP」に2008年10月27日に掲載された記事を、東洋経済オンラインの読者向けに再構成したものです。
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