小田急ロマンスカー「あの色」を生んだ天才画家 下北沢駅で話題の「奇抜な壁画」に秘密がある

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そして1957年4月、ついに新型の小田急ロマンスカーSE車のカラーデザインを担当することになった。宮永さん38歳のときのことだ。

時代の空気感を反映させるのに長けた宮永さんは、目立つバーミリオンオレンジを基調に、グレーと、白のラインが入るデザインを考案。これは今までの鉄道車両にはない斬新さだったと聞く。

このカラーリングはその後、NSE車、LSE車が引き継ぎ、VSE車、MSE車にも車体側面のラインとしてバーミリオンオレンジが使用されている。

宮永さんは、ほかにも特急の車内誌『武相旅情』や『車窓の春』などの表紙絵を描いたり、1962年43歳の頃、小田急デパート開店に際してシンボルマーク、包装紙などを制作。墨線描でハルクの建物を浮かび上がらせたシックなデザインに仕上げた。これらは今でも十分通用するデザインだと思う。

つねに画家としてのアイデンティティーを保ちつつ、精力的に商業デザインも手がけていく。中でも全日空などのポスター作品は社会を席巻し、「太陽の昇らぬ日があっても宮永のポスターを見ない日はない」と言われるほどだった。

そして1970年、51歳の頃から「純粋に自分だけの絵を」と油彩画に専念するようになる。1979年には日本芸術院賞を受賞した。大衆と芸術、どちらのバランスもとれた活動ができる作家はそうそういない。しかもその量は膨大だ。そのバランスとスピードこそが、私が宮永岳彦さんが天才だと思えるゆえんである

「ぺんてるくれよん」のデザインも

そして小田急以外では、こちらのパッケージデザインがよく知られているのではないだろうか。

ぺんてるくれよん。箱に描かれた男の子と女の子は「ペペ」と「ルル」という(筆者撮影)

私もこの箱のぺんてるくれよんを、まさに使っていた世代だ。調べると、ぺんてるくれよんの「男の子と女の子」の絵は、松坂屋宣伝部に在籍し活動していた1951年に生まれたものだという。

ぺんてるくれよんのほか、サインペンの広告イラスト、挿絵など、1950~1970年代のぺんてる製品の宣伝広告を手がけていたらしい。そして現在も、ぺんてるくれよんのパッケージイラストは、基本変わっていない。

それどころか、このキャラクターたちはますます活発になっており、それぞれツイッターも始めたらしい。フォロワー数が数万人もいて驚いた。亡くなった後も作品が生き続けるというのは、作家にとっていちばん望ましいことだ。古さを感じさせない宮永さんのデザインだからこその力だろう。

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