小田急ロマンスカー「あの色」を生んだ天才画家 下北沢駅で話題の「奇抜な壁画」に秘密がある
私が訪れたとき、記念美術館では「宮永岳彦グラフィックデザイン展」を開催していた。私も現在は漫画家だが、大学は美大でグラフィックを学んでいる。ポスターやデザイン画を見るのは今でも好きなので、ちょうどそのテーマがはまり、大変感銘を受けた。
中でもこの小田急特急ロマンスカー・SE車(3000形)が描かれたポスターを目にしたとき、ものすごくワクワクした。LSEも、昭和を感じさせる大変好きな色とデザインではあったが、このポスターはさらに、SE車と背景の水色とグレーのコントラスト、奥の箱根芦ノ湖の風景などが相まって、旅情をかき立てられた。
SE車が浮き立つような構図に、希望にあふれた未来を感じる。宮永さんにとっても、自分で考案したカラーリングのSE車は特別なものであったに違いない。
宮永岳彦さんは1919年2月20日静岡県の生まれで、父は専売局(専売公社)の官史だった。転勤により、8歳のときに名古屋に移る。その後、名古屋市立工芸学校に入学、この頃より油絵を描き始めた。
1936年4月、17歳のときに松坂屋百貨店名古屋本店に入社。働きながらも絵画展やポスター展などに出品、だんだんと賞を取るようになる。
その後戦争をはさみ、1946年に秦野へ移った実家に帰り、再び松坂屋百貨店に復帰。銀座店宣伝部で図案家(現在のデザイナー)として1958年まで勤務する。その間、他社の仕事も精力的にこなした。
商業美術界のスターに
小田急の初仕事は1948年、小田急電鉄の依頼で小田急沿線の観光ポスター「江の島」「箱根」などを手がけたことから始まる。風景にエキゾチックな美女を配したデザインは人々の足を止め、旅へと誘った。
宮永さんについて、記念館にあったパネルにこう記されている。
「宮永のグラフィックデザイン作品は、海外の近代デザインを模倣した安易な抽象化に走らず、確かな技術で描き出した具体的なモチーフのイラストレーションが鮮烈で、構図の巧みさや色彩センスでも群を抜いていた。新しさと麗しさを合わせ持った宮永デザインは、暗い世相から解放され、美しいものを渇望する当時の人々から熱狂的に受け入れられ、宮永はそのモダンな感性で一気に商業美術界のスターへと駆け上がっていく」
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