電車整備の技を海外に…「地下鉄OB」の職人魂 ジャカルタで尊敬を集める「車両技術の鬼」

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嶋村氏は1966年に当時の営団地下鉄に入団し、一貫して車両技術畑を歩んできた。6000系の登場はその2年後だ。「6000系は当時の最新技術を用いていることもあり、当初は故障などが頻繁に発生していた。毎日が勉強の日々で、メーカーと一緒になって作業をしながら技術を盗んでいた」と、嶋村氏は当時を振り返る。

6000系のうち「2次試作車」と呼ばれる編成(左)もジャカルタで活躍する。右は一世代前の5000系。ともに50年選手だが現役だ(筆者撮影)

「営団地下鉄は電機メーカーの壮大なる実験場であった」という嶋村氏。その車両技術開発の歴史は、日本の半導体技術の発展史でもあると力説する。1960年代末、6000系の制御装置に使用されていた半導体であるサイリスタは、80年代にはより小型のGTOに取って代わり、やがては現在主流の「IGBT」へと移り変わっていった。嶋村氏はこれらの進化を、営団地下鉄の技術者として第一線で見つめてきた。

一方、KCIには2007年、6000系の一世代前である東京メトロの5000系車両が譲渡され、2010年からは6000系が登場。さらに2016年以降は、IGBT素子を使用するインバーター制御に改造された6000系が渡ってきた。営団地下鉄・東京メトロで1960年代から2000年代にかけて進んだ技術革新を、KCIはわずか10年ちょっとの間に経験していることになる。

「次はいつ来てくれる?」

それらの車両を曲がりなりにも使いこなしているKCIの作業者は、嶋村氏にとっては愛弟子のような存在といえる。

KCIのスタッフに囲まれる嶋村氏(蛍光色のチョッキの男性)(写真:嶋村禎一)

現場で通訳を入れることはほとんどない。最低限の英語と身振り手振りのコミュニケーションになるが、専門用語を多用するために通訳を入れるとかえって通じないというのが嶋村氏のスタンスである。一歩現場に入れば怒号も辞さない「鬼」となるが、毎回帰国前にはレストランで作業者をねぎらうことも忘れない。そして「次はいつ来てもらえるのか?」との質問を作業者たちから浴びることになる。それこそが、嶋村氏の思いが確かに現場へ伝わっている証拠だ。

2015年のKCI入社時からデポック電車区で6000系のメンテナンスに関わっているユディ氏は、嶋村氏について「東京メトロの車両のすべてを知りつくしたエキスパート」と尊敬し、その人柄についても「若い技術者が大好きで、どんなことがあっても守ってくれる」「技術を分け隔てなく共有し、彼の知らないインドネシア特有の事象に対しては、真摯に学ぶ姿勢を持ってくれる」と賞賛する。

その言葉は、営団地下鉄時代から約40年、現場一筋で過ごしてきた嶋村氏の人となりをよく表しているといえるだろう。

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