「いだてん」羽田運動場と蒲蒲線の数奇な運命 オリンピックの予選開催地、現在は空港に

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線路が蒲田駅までつながったことで、国鉄の列車は東京駅から蒲田駅を経由して羽田空港まで直行できるようになる。もちろん、この列車に日本人が乗車することはできなかった。

1952年に日本が主権を回復させると、海老取川東岸も接収が解除された。進駐軍が建設した蒲蒲線は廃止され、東京駅から羽田空港まで直行することはできなくなる。

一方、線路を奪われた京浜電鉄は、1948年に京浜急行電鉄として再び穴守線の延伸に取り掛かった。

1956年、京急は海老取川の西岸に羽田空港駅を開設。しかし、羽田空港駅は“旧”穴守駅とほぼ同じ場所にあった。羽田空港駅へ向かうには、羽田空港駅からバスに乗り継がなければならなかった。

国際線ターミナル駅が誕生

羽田空港国際線ターミナル(撮影:梅谷秀司)

こうした不便な状況でありながら、京急は空港へのアクセス路線であることを周知するために、1963年に路線名を穴守線から改称した。名称は変わっても、依然として空港へはバスへの乗り継ぎが必要だった。

1993年に京急の線路が海老取川を渡り、羽田(現・天空橋)駅が新設される。これで、ようやく羽田空港へのアクセスは改善。同駅が新設されたことで、それまで海老取川の西岸にあった羽田空港駅は廃止された。

2010年、羽田空港に国際線ターミナルが開設される。それに伴い、羽田空港国際線ターミナル駅が新設され、同時に羽田空港駅は羽田空港国内線ターミナル駅へと改称した。2012年には空港線の全線が立体交差化を完了。それまで、京急蒲田駅付近に箱根駅伝のランナーを足止めする名物踏切が残されていたが、そうした光景は過去のものになった。

以降も、羽田空港は日本の玄関口としての重要性を高めている。現在、訪日外国人観光客の急増もあり、その重要性はますます高まっている。東京五輪が開催される2020年、羽田空港の存在感はさらに高まっていることだろう。

小川 裕夫 フリーランスライター

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おがわ ひろお / Hiroo Ogawa

1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経てフリーランスに。都市計画や鉄道などを専門分野として取材執筆。著書に『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)、『私鉄特急の謎』(イースト新書Q)、『封印された東京の謎』(彩図社)、『東京王』(ぶんか社)など。

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