「昭和の通勤電車」今では信じられない地獄絵図 「失神者」や「ガラスの破損」は日常茶飯事

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添えられた写真には、4、5人の駅係員(いわゆる「押し屋」)が乗客を中央線の上り列車に押し込んでいる様子を運輸大臣が視察する姿を捉えている。

毎日1人は失神する通勤地獄

その視察が混雑をさらにひどくしているのではないだろうかとも思えるが、押し込まれている人は、まるで拷問でも受けているような悲痛の表情だ。この日は2人の女性が失神したそうだが、駅員の話によると毎日1人は失神するのだとか。

朝の通勤ラッシュのひどさを伝える新聞記事(1965年6月7日の読売新聞夕刊より)

日本国有鉄道(国鉄、現・JRグループ)の通勤電車に冷房車が登場したのは1970(昭和45)年なので、当然クーラーはない。この混雑に梅雨入り前の蒸し暑さが加われば、そりゃ失神する人も頻発するだろう。

だが、単純に混雑だけでいえば、この視察があった6月より、乗客が厚着して“着ぶくれ”になる冬場のほうがひどくなる。

視察以前の冬の新聞を探ってみると、1963(昭和38)年12月12日には、国鉄常磐線の松戸駅で〈ギュウ詰めの乗客のゆり返しでガラスが破れた〉(同日付の朝日新聞夕刊より)という事故が、翌1964(昭和39)年1月11日には、国鉄中央線において1本故障が出たためにダイヤが大幅に乱れ大混雑、〈新宿駅では、電車のガラス五枚が割れ、電車のドアが七カ所もはずれる〉(同日付の朝日新聞夕刊より)という事故が起きていた。

当時のガラスは現在のものより強度がなかったので、ラッシュで割れることもたびたびあり、ドアもよく壊れた。ケガの恐れもあるし、混みすぎてキツイというだけではすまなかったのだ。

電車に押し込まれた際に靴が脱げてしまう人も多かったようで、国鉄ではサンダルの貸し出しも行っていたり、新橋駅ではラッシュでちぎれたボタンをつける商売をする店も出現したりした。いずれもこの時代の通勤地獄を物語るエピソードである。

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