なぜ「町田」は神奈川の駅と誤解されやすい?

東京に近づける大きな役割を小田急が担った

昭和に入るまで、町田の中心は横浜線の原町田駅(現・町田駅)付近だったが、小田急開業以降はしだいに小田急側へと街のにぎわいがシフトしていった。これは、新宿の求心力が強く、新宿とつながっている小田急に利用者が流れたことが背景にある。

現在、小田急線とJR横浜線の町田駅は多少の距離があるものの、基本的には同じ駅と認識される。しかし、当時は両駅が約700メートルも離れており、駅名は同じでも完全に別の駅だった。

戦後の多摩はどんどんベッドタウン化し、横浜線から小田急線に、小田急線から横浜線に乗り換える需要も増えていった。毎朝の通勤ラッシュ時には、両駅間を疾走するサラリーマンや学生が多く、そのために両駅間を結ぶ通路は“マラソン通り”“駆け足通り”などと通称されるほどだった。

原町田駅の名物ともいえる風景は、1980年に国鉄(現・JR東日本)側が駅舎改築するのと同時に小田急側に寄せたことで消失した。小田急は国鉄よりも一足早く、1976年に新原町田駅から町田駅に改称している。国鉄も駅舎移転を完了させた1980年に駅名を町田駅へと改めた。小田急・国鉄の原町田駅を統合する動きは、国鉄が小田急に譲歩する形になった。

大都市圏では、JR(国鉄)と私鉄が競合している駅はいくつかある。それらの多くは企業規模の大きなJRが優位に立ち、私鉄がJRに合わせることがほぼ通例になっている。

小田急が国鉄に勝った要因

しかし、町田駅に関しては違った。国鉄が小田急に譲歩した形で統合が進められた。副都心・新宿と直結していることが決め手になったのだろう。

戦後の町田は、東京のベッドタウンとして発展してきた。新宿には小田急のほかJRの中央線・山手線、京王線・京王新線、都営地下鉄新宿線、東京メトロ丸ノ内線などが乗り入れている。それらを合計した1日の利用者は約350万人で、その数は世界一ともいわれる。つまり、新宿の集客力・拠点性が戦後の町田発展の源泉でもあり、小田急が国鉄に勝った要因でもある。

新宿の力を背景にして成長してきた町田だが、多摩の住宅地開発は昭和30年代から始まっており、町田の開発はそれらが一段落した40年代から開始された。八王子や立川などは戦前期から開発が始まっていたが、戦後においても開発は続き、町田は後れをとっていた。しかも、昭和30年代前半には政府が掲げた多摩ニュータウンや東急が開発を主導した多摩田園都市なる新しい都市計画が浮上し、そこでも町田は後塵を拝した。町田の都市開発は、なかなか着手されなかった。それでも後発都市であるがゆえに、隣接する街や都市の改善点やいい点を吸収して進化を遂げている。

現在、町田市はJR横浜線町田駅の南側地区の再開発計画に取り組んでいる。昨今、東海道新幹線新横浜駅の存在感が増しており、横浜線を使えば町田駅から新横浜駅まではかなり近い。

町田駅は成長パートナーを横浜・相模原・新宿と時代ごとに替えて、成長の糧としてきた。町田駅の次なる成長パートナーは、新横浜駅になるだろう。横浜・相模原・新宿。そして新横浜のエッセンスをミックスしながら、町田駅は独自の文化圏・経済圏を築こうとしている。

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